て下さい」
そう云った。男は黙りこんだ。
ひろ子がそこから帰って、託児所へ住むようになったばかりの夏の末、お花さんの友達が現場で大怪我をして病院にかつぎこまれたことがあった。
ちい坊を託児所にあずかって、下の四畳半へねかしたまま、団扇《うちわ》で蚊を追い追い、ひろ子はそのわきで本を読んでいた。やがて眼をさましたちい坊は、泣き出してどうしてもだまらない。鼻のあたまに汗をかいて泣きしきるので、ひろ子はああと思いつき、その思いつきに自分で嬉しがりながら、
「さア、これでどう? ちい公もこれじゃ泣けまい?」
そう云いながら白いブラウスの胸をひろげて、ひろ子は自分の乳房を泣いている赤坊の口元にさしつけた。ちい公は、その時分からしなびて、顔色や足の裏の血色がわるい児であったが、ほそい赤い輪のように口をひろげ、さぐりついてやっとひろ子の乳首をふくんだかと思うと、すぐ舌でその乳首を口の中から圧し出して前より一層激しく泣きたてた。三度も四度もひろ子はそれをくりかえした揚句、到頭あきらめて自分も困ってききわけのある子に云うように挨拶した。
「いやじゃあこまったことね。――でも小母ちゃんがわるいんじ
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