、ひろ子はゆっくりと、
「私、けさは柳島へまわって来たんで、こんな時間になってしまった……。託児所の仕事がひろがって来ていて、大人のことにまでのびているもんだから――御無沙汰も、わたしが怠けていたからじゃなかったのよ。電車の父さんたちだって負けちゃ仕様がないでしょう? だからね」
そう云って、眼で笑った。
「ふーん」
重吉は、もう窓ぶたをしめる構えでそれを引っぱる紐に手をかけている看守の方を一瞥し、その視線を真直ひろ子の顔の上に移し、兵児帯《へこおび》をグッと下げるような力のこもった体のこなしで云った。
「もし、ひろ子が『病気』にでもなった時、急にこまらないように、出来たら少し金をいれておいてくれ」
重吉のそういう言葉を、ひろ子は突嗟に自分たちの生活で理解できる限りの豊富な内容で理解した。重吉は本当は金のことを、云ったのではなかった。ひろ子の託児所もまきこまれている市電の闘争では、また自分たちが会えなくなる時が来るかも知れない。そのことを重吉は諒解し、諒解しているということでひろ子をはげまし劬《いたわ》ってくれたのであった。
冷たい共同便所に似た面会所から出て、日のよく当ってい
前へ
次へ
全59ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング