させている。
貧しく棟の低い界隈の夜は寝しずまっている。ひろ子はそのまま雨戸をしめようとしたら、こっちの庇の下からいそいで男が姿を現した。足より先にまず顔をと云いたげに体を斜《はす》っかいに運んで二階の窓を振仰ぎながら、手をふった。細面の顔半面と着流しの肩に深夜の月は寒そうで、ひろ子は窓の奥から眼を見はったが、
「なアんだ!」
お前さんだったのかという声を出した。それを合図に待っていたらしく、寝床に起き上っていたタミノが手をのばして、電燈をひねった。俄《にわか》の明りで、タミノは眠たい丸顔を一層くしゃくしゃさせた。
「大谷さん?――何サ今ごろんなって」
寝間着の前をはだけ、むっちりしたつやのいい膝小僧を出したまんま腹立たしそうに呟いた。
「用事だったらまた起すから寝てなさい、よ、風邪ひくわ」
片隅によせあつめものの古くさいテーブルなどが置いてある三畳の方から、急な階子段がむき出しに下の六畳へついている。ひろ子は暗がりの中を手さぐりでそこの十燭をつけ、間じきりの唐紙ははずしてある四畳半をぬけ、流しの前へ下りた。節約で、台所の灯はつけてない。水口の雨戸の建てつけが腐っているところを
前へ
次へ
全59ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング