大切になさい」と云って立ち上った。
 下へ降りて来て見ると、長火鉢の前で、何か土鍋で煮ていた年寄は、黙って立っている浩を、見上げながら、「時を見て、またゆるりとお話しなさるがいいよ。若いときは、誰でもねえ……」と、慰めるとも追懐するともつかない表情を浮べた。
 その後、浩は一日に一度ぐらいずつきっと父親の見舞いに来た。が、二階には行かないで、持って来た果物だの菓子だのを年寄や、また時としてはお咲に頼んで帰った。孝之進は、浩が来たらしい声が下から聞えて来ると、耳を澄ませて、何事も洩らさず聞きとるに努力していた。「もうそろそろ来そうなものだ」と思っていると、格子の鈴が鳴る。帰るらしい挨拶の聞えるときや、一日心待ちに待って来られないときなどには、訳の分らない淋しさが湧いてきいきいした。けれども、彼はただの一度も浩のことを口に出しては訊かなかったし、来ているのが解っても、上れと云わなかった。「そこが武士の意地」なのであるらしかった。そのくせ、浩が持って来た果物などを食べるとき、お咲が一緒に泣き出してしまうような涙をこぼした。
 浩は、父親に「帰れ」と云われた息子として、自分に妙な同情や臆測が加
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