二度ほど、めいめい違った会社や商店から、庸之助に就ての間合わせが来た。それが若い者の仲間に知れわたると、まるで彼が生きているということからが、既に自分等に対して僭越であるような、冷笑《ひやかし》や罵詈《ののしり》が、彼の名に向って浴せかけられたのである。
 浩は、非常に不安であった。この東京の中に、次第に悲境に沈みつつある? 自分の親しい友達がいる。自分の目から遁《のが》れていると思うだけで、非常に心が平らかではなくなった。始終心の隅に、彼の名と姿がいろいろな想像を加えられて重く横たわっていたのである。

 往来は混んでいた。今出たばかりの――行きの電車に追いつこうとして駈け出した浩は、とある本屋の傍まで来かかると、つい今まで自分のすぐのところで鈴を鳴らしていた夕刊売が、急にあわてた様子で身をよけたのに、フト注意を引かれた。足が鈍った。思わず振返った。そして何かから遁れるように両手で人波を掻きわけ掻きわけ、急いで行く後姿――どの売子もする通りに、社の名が染め抜きになっている印袢纏《しるしばんてん》を着て、籠を斜にかけた後姿――を眺めた。浩は、彼の驚きの原因を求めようとして周囲を見まわし
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