た。が、せわしい夕暮時に、何の特徴もない売子に、注意を引かれたのは、自分一人ぎりだと解ると、一層あの若者の挙動が怪しまれた。暫く立ちどまっていた彼は、やがて我ながら好奇心の強いのに、少し驚ろかされ気味になって、また歩き出そうとした。実際五六歩足を運びながらも、なぜだか心が引かれた。何だか自然と足が止まって、無意識に見返ったとき! ほんとうにその瞬間、チラッと見えて、隠れたあの若者の顔が、ほんの一瞥をくれただけではあったが、彼には見覚えがあった。忘れられない顔であった。
「杵築君だ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
浩は、張りきっていた弦《つる》が切れたような勢で駈け出した。今あの顔が見えたと思ったところへ来たとき、彼の姿はもうそこには見えなかった。
人溜りのうちを彼は捜した。が、見えない。見つからない。人に聞こうにも何となし気が臆した。彼は力抜けのした様子で、立ちよどんでいると、さっきからその様子を見ていた年寄が、
「今の夕刊売かね? そんならホラ、そこの角を曲って行きましたよ」と教えてくれた。
東京の大通りのかげには、よく思いがけないほど狭く、ごちゃごちゃと穢い通りがある。その
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