の付かないほど少しずつ彼女はなおってきた。血色もだんだんによくなり、腕に力もついてくると、彼女の全身には、恢復期の何ともいえず活気のある生の力が充満し始めた。そして、哀れなほど、若い母親として送った二十《はたち》前の凋《しぼ》んでしまった感情が、またその胸に蘇《よみがえ》ったのである。
寝台の上に坐っているお咲の目には、開け放した窓を通じて、はてもない青空が見渡せた。かすかな風につれて窮まりもなく変って行く雲の形、あかるい日の光を全身にあびて、あんなにも嬉しそうに笑いさざめいている木々の葉、その下にずらりと頭をそろえている瓦屋根。
「ア! 烏が飛んできた! 猫が居眠りをしている……。まああそこに生えているのは、何という草なんだろう? おかしいこと、あんな高い屋根の上に――、ずいぶん呑気そうだわねえ……」
子供のように、微笑みながら、先の屋根に、キラキラしながら、そよいでいるペンペン草を眺めていると、夏の眠い微風が、静かに彼女の顔を撫でて通った。彼女の耳は、風に運ばれてきたいろいろな音響――かすかな楽隊、電車のベル、荷車のカタカタいう音、足音、笑声――をはっきり聞きとった。と、同時に
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