る。字をたどりながら、彼の頭は、酒の香いと、味と、どうしたらこれに勝てるかということで一杯になっていたのである。皆が、自分の心の奥を見透しているのが知れれば知れるほど、庸之助はそうでないらしく見せたかった。今飲む酒は、単に自分を酒に負けただけに止めて置かないことを知っている彼は、どんなにしても辛抱し通さなければならなかったのである。
「けれどもまた何という高い香いだろう!」
鼻を通り喉を過ぎ、胸の辺で吸い込んだ香いのかたまりが、熱くなって動きまわった。ムズムズ不安が心を乱す。負けてはならぬぞ。負けては大変だぞ! と思えば思うほど、無性《むしょう》に飲みたくなる。チラリと仲間の方を偸み見ながら、彼はゴクリと喉を鳴らした。
それが不幸にも、彼等の目に止まった。
「へ! あの面!」
「こわがっていやがらあ!」
賤しい笑い声がどよめいた。猪口や徳利《とくり》がガチャガチャ鳴った。
「まだ降参しねえんかい? わるく強情だなあ」
「怨めしいような面あしてやがるわ!」
「ここまでお出で、甘酒進上だ! へへへへへ」
「どうせ飲むんじゃあねえか? その面あ何だい!」
「喉から手が出そうだあな、馬鹿
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