つけた。古手帳のやや黄ばんだ紙の上に、音でないほどかすかな音――何か落ちるということの素早い連想ばかりで感じられるような――を立てて来たのは、一匹の小さな小さな虫であった。
 体全体の長さが、鯨尺の一分にも足りない、針の元ぐらいの頭に、ようようこれが眼かしらんと思われるものが二つついている。見れば見るほど、小さいながら、調った、美しいというに近いほどの体形をしている。けれども、どうかしてもうすっかり衰えきって、三対あったらしい脚も、二本は中途から折れて、胴の傍に短かく根元がついている。すべてが、実にこまかく、きゃしゃにまとまっている。まるで生きていられることさえ疑われるほどである。が、羽根が見えない。紙の上に目を摺りこむようにして見ると、虫は仰向けになって、落ちて来たらしい。細い体に敷かれて、半透明な羽根が僅かばかり覗いていた。
 暫くの間虫は脚一つ動かさず、非常に静かにしていたが、やがて急に、真中の一対の脚を高く振りかざしながら、ごく狭い範囲――拇指を押しつけたくらい――の中を、頭を中心にしてぐるぐる、ぐるぐると動きまわった。
 実にかすかな、小さい運動ではあるが、虫にとっては大変に
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