高瀬へ問い合わせては返事を待ってしなければならないようなことが起って来るので、手間ばかりかかって、一向進まない。お咲の方からは、それとなし、金の催促の手紙を寄こすので、孝之進は、とうとう門先にある桐の大木を売ることにした。これはかつてお咲の嫁入りのとき、箪笥《たんす》でも作ろうなどと云われたこともあったもので、穢ない茅屋根を被い隠すようにして、毎年紫の品の好い花が一杯に咲いた。松だの杉だのばかり多い村中で、孝之進の家の目標《めじる》しのようになっていたのを、今伐り倒すことは、不如意な暮し向きを公然発表するようで気も引けた。けれども背に腹はかえられぬところから、孝之進はかねて見知り越しの材木屋を呼んで価踏みをさせた。商売となれば、遠慮はない。材木屋はいろいろな難癖をつけて、一抱えもある桐を、二十円で買ってしまった。
久し振りで東京へ行ったことだから、息子のこと、娘のことをあれこれ聞くのを、楽しみにしていたおらくは、浩のことを云い出すと、「あんな馬鹿のことなんぞ訊くな」と云われるのが心外であった。そしてそればかりではなく、東京のことを訊かれるのを厭っている様子が彼女に不審を起させた。心配になった。で三晩かかって孝之進に見つからないように心を配りながら、お咲のところへ手紙を出した。太い、にじんだ平仮名ばかりで、ところどころへ涙の汚点を作りながら、「わたくしのしんぱいおすいもじくだされたく候」と繰返し繰返し書いてやったのである。返事は浩からすぐに来た。三間もある手紙をおらくは嬉し泣きに泣きながら読み終った。息子の親切な言葉が彼女の心を和げて、何も本を読んだりものを書いたりすることなら、おじいさんも、そんなに怒りなさらないでもよさそうなものだにと思った。彼女にとっては、息子が庸之助と親しくしているのは、後生のために大変好いことだとほか思えなかった。が若いうちから孝之進に絶対的な権利を認めているおらくは、「女には分らない男同志のこと」に口を出して何か云おうなどとは、さらさら思わなかった。ただ、一日も早く孝之進の怒りのとけるように、如来様にお縋り申すほかなかったのであった。それに、孝之進も帰って来てから、どうも工合がよくなくて、腰についたリョーマチだという痛みが次第に募って、朝起きたばかりには、サアといって立てないほどになった。物忘れも激しくなった。前にも増して陰気になって、一日中おらくにものを云わないことさえある。彼女は、おじいさんも信心がないからこうなのだと思って、折々は少しお説教でも伺ったらと勧めた。孝之進自身もこのごろのように心が淋しくて、苦しいことばかりあると、そう思わぬでもないが、どんなときにでもジッと歯を喰いしばって堪らえて来たのを、今更仏いじりで終ってしまいたくはなかった。それにもう帰る頃はほとんどとけていた、浩に対しての憤りを、今も持ち続けて行こうとする、辛い意地から、一層心が穏やかでないことを、彼は自分でも知っているので、こればかりは仏の力でも紛れそうに思われなかった。けれどもおらくは、裏へなど長く出ていて、何心なく奥へ行ってみると、何か涙をこぼしながら一生懸命に見ていた孝之進が、あわてて持ったものをかくしながら、空咳をするのなどをしばしば発見した。浩の手紙を見ていなさるなと彼女は悟ったが、それについては一言も云わなかった。そしてただ涙をこぼした。猫の額ほどの菜園の土を掘りながら、今頃はまたおじいさんが読んでいなさるころだと思うと、おらくは出来るだけ長く戸外《そと》にいた。時には用事がなくても孝之進の心を汲んで彼女は外へ出てブラブラと菜園を見まわったり、納屋の傍に寄りかかってお念仏をしたりしながら、彼女自身も何だか嬉しいような心持を感じていたのである。
父親から、どうやら金を送ってくれたので、お咲はずいぶん助かった。有難いと思った。が、病気はどうしても悪い。このまま進んで行けば、また入院するほかなりかねないので、年寄達は気を揉《も》み出した。お咲自身も気が気でないと同時に、永病人に有勝な、我がままや邪推が出て来て、病み倦きた者と、看病疲れのした者との間にはとかく、不調和な空気が漲りたがった。浩はどうかして、一週間でも十日でも海岸へなり姉をやってみたいと思った。けれどもそれというのもすぐ金の入用な話で、彼の腕では及びもつかないことである。それかといって、誰かから出してもらって、ハラハラしながらする養生などは、結局何の役にも立たない。彼は、このごろしきりに金という問題に苦しめられる自分の頭をいとおしむような心持になった。もちろん彼とても、金を全然卑しむべきものだとは思っていない。けれども、自分の労力に相当するより以上の報酬を夢想して見たりすることはいやであった。どんなに困っても、友達から借りることなどはできない質《たち》
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