えられているのを感じて、彼はこそばゆいような気がした。が、彼はそんなことを気にして、怒ったり笑ったりしてはいられなかった。どうかして、薬代だけは自分の力ですませたいと、彼は心をなやましていたのである。国へ送る分だけを、取っておけば済むとも思ったけれども、母親のことを考えると、それもならない気がした。また十円かと思うと、浩は苦笑しながらも涙がこぼれた。
 自分一人こうして病人でいるさえ、気が引けて、気が引けて堪らないお咲は、逗留したまま、また父親に床につかれたことは、年寄達に対して、身も世もあられない思いがした。病気も幾分かぶり返し気味で、神経質になっている彼女は、あれやこれや思いつづけると、このまま馳け出して、どこかへ体ごとぶつかりたいほど気が焦立った。
「何をどうしたか分らないけれど、こんなに弱るほど、この年のお父さんをいじめなくたって好さそうなものだのに……。そりゃあ、転んだからということだってあるけれど、ただちょっとつまずいたぐらいで、どうしてこれほどこたえるものか、あれが憎い、ほんとうに親不孝だったらありゃあしない!」お咲は口惜し涙をこぼした。はかどって癒ってくれない、自分自身の体に対しての怨みと、浩及び、無形な何物かに対しての腹立たしさに、彼女はブルブルした。このごろのように、苦労が一倍多かったり、病気が悪くなって来ると、恢復期に彼女の心に起ったような、優しい潤いのある心持は、すっかりどうかなってしまって、不安な焦躁《もがき》と、倦怠《だるさ》が心一杯に拡がった。あまり丈夫そうにピンピンしている者を見ると、「ちっとは病気もするが好い」という気がして、浩などに対する腹立たしさも、後で考えてみれば、彼の健康に対しての嫉妬が混っていたのだと、我ながら恥かしいような心持になることもあった。
「お父さんがまたお医者にかかっている……」
 いくらかずつ遣り遣りして、仕舞いにはどうしたら好いかと思う医者への払いなどを考え出すと、今日こそは、ちゃんと順序を立てて考えましょうと始めこそ思っていても、だんだんいろいろなことで頭が乱れて、きっと泣いてしまうのが落ちであった。
 けれども、孝之進は、始めの様子に似げなく少し工合がよくなるとドンドンなおって行った。また無理でもなおらせずにはおられなくもあったのだけれど、とにもかくにも、医者が、疲れが一時に出たのと、リョウマチがついたのと転んだのと一緒になったのだといった診断が、ほんとらしくあった。皆が気にやんでいた中風のようにもならずに済んだことが、何よりであった。床を離れて、二三日してから孝之進は足試しに、電車に乗らずに行ける高瀬まで出かけてみた。足の方は何でもなかったが、妙な一つの現象を発見した。それは彼が高瀬の主婦に乞われるままに、お咲の所番地を書こうとしたときである。「――区――町――」孝之進は、すかすような容子で、几帳面な字を書き出した。このとき、フト彼は浩のことを思い出した。彼の目が三白なことが頭に浮んだ。三白の子は昔なら、生かして置けないといったものだと思うと、不意に手頸の力がぬけて書いていた字の下に、細く太い汚点をつけた。考える方に妙に体中の力が吸い取られて、手の方がだるいようになると一緒に、ガクンと骨が脱《と》れたように、感じたのである。孝之進は、思わずハッとした。が別にどうしようもない。何も思わないようにして、書きあげてはしまったものの底の底まで気が滅入った。彼はそこいら中、ガタガタになって、死んで行く自分の姿をまのあたり見せつけられたようで、非常に厭な気持がした。
 一二度外出をしてから、孝之進は早速帰国の仕度をした。そしてようよう汽車賃ほか遺らない中から、薬代を払おうとして、きっと浩が済ませたに違いない受取りを出されたとき、彼は思わずも溜息を吐《つ》いた。心のうちではどこまでも自分をいたわってくれる息子に対しての感謝で一杯になっていたが、彼の装い得る最大限の平然さをもって、「そうか」と云ったまま、さっさと受取を懐へ押し込んでしまった。翌朝彼は起きぬけに帰国の途に着いた。

        十二

 国へかえるとすぐ、孝之進はM家の金の談判を始めた。けれどもなかなか埒《らち》が明かない。東京の商業学校を卒業して来て、西洋風の机に向い、西洋風な帳面と字で、一家の経済を切りまわしている若い主婦を始め、主人まで、出来るだけ孝之進をはぐらかしにかかっているように見えた。主人は何ぞというと、「時世というものは面白いもんですね、何にしろあなたがこういう用事で家へ来なさるんだから……」と云った。これが孝之進の気にグッと触った。二三度はこの言葉を聞くと、そこそこに座を立ってしまったが、相手の策略がだんだん飲みこめると、孝之進もその手には乗らなかった。が、何にしろちょっとしたことまで東京の
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