ときから、もう数ヵ月たっている。それだのに、伸子の目には教科書以外の一冊の新しい本も見当らなかった。園芸の本だけは一かたまり、もとからのところに立ってはいるが。――
 乱読して来た伸子には、保の若々しい精神がこの本棚のような有様でもちこされているということには合点がゆかなかった。
「保さん、いなかったわよ」
 伸子は、実家へ遊びに来ている大きい娘というようないくらか甘えた声で母にいった。
「出かけちゃったのかしら」
「ああそうそう、保さんはね、土蔵だよ」
「土蔵?」
 かたづけものでもたのまれたのだろう。伸子はすぐそう思った。
「じきすむかしら」
「すむって――勉強してるんですよ」
「土蔵で?」
 伸子は、頸がのびたような眼つきをした。
「何しに土蔵なんかでやるの?」
 おかしいの! 伸子はそのひとことを口のうちでつぶやいた。土蔵のどこが、勉強場所として心持よいというのだろう。
「あすこの地下室は涼しくっていい気持なんだってさ、それにしずかでいいって――それゃしずかなことはしずかだろうさ」
 多計代はユーモラスにうけとっているらしく、本当にあのひとは、という風に笑った。
 大きな音をたてて戸車のころがる重いくぐりの網戸をあけて、伸子は土蔵へ入って行ってみた。入ったところの板じきには、古椅子だの屏風箱だのが積まれ、東西についた窓が大きいから内部は明るいけれども、永年の間につもった塵のにおいがしている。西側の隅に鍵のてに手すりがあって、そこのあげぶたがたたまれ、半地下室への階子口《はしごぐち》があいていた。伸子は、その辺にはなおどっさりつもっている塵をそっと草履でふみつけるようにして歩いて、その階子口へ行き、少しのぞきこむようにして声をかけた。
「保さん、いる?」
 へんじがなかった。
「いないの?」
 しばらく耳をすましてもシンとしているので、伸子は足もとに気をつけて、いくぶん前下り気味の工合のわるい階子を二三段下りて、下をのぞいた。半地下室には、湿気どめのために真黒くラック塗料をぬられた太い角柱が幾本も立っている。その柱と柱の間の東よりの窓下に保の勉強場が出来ていた。製図板をのせる脚高台に、大形の製図板をのせ、その前に木づくりの大きいひじかけ椅子があった。本やノートがすこしその製図板の上にちらばっている。半地下室の東と西とにも半分だけ地面に出た窓がしきってあって、そこから光線がさしこんでいる。けれども、四方の壁が柱と同じようにやっぱり真黒い塗料でぬりこめられているから、その明るさなどは吸収されて、机のところに、単調で鈍い庇合《ひあわ》いの明るみが落ちているばかりであった。たしかに、その半地下室の空気は、ひやりとした。でも――なぜさ。伸子は、黒く光る柱の下にたたずんで、ほんとに声に出してそうひとりごとした。なぜさ! 涼しい、といったって、夏のさかんな季節のおもしろさ、その自然の美しさや光線の横溢を、こういう半地下室のひやりとした朦朧《もうろう》さととりかえている保のこころもちを、伸子は解せなかった。つよく、わからない、と思おうとしている伸子の感情はいわば強いてもそのわからなさに踏み止まっている、というところがあった。相川良之介の死。「ある旧友への手紙」。その感銘ぶかい葬儀からかえったばかりの伸子の神経には、保の土蔵への引こしを、ただ偶然のことと思えないような過敏さがあった。土蔵好きになった、という保の心持そのものに不吉感を感じるのであった。
 伸子は、言葉にいえないその不吉感を、自分に認めることさえ恐れた。そういう風に感じたりすることは、わるい文学趣味だと思おうとした。
 伸子は、またガラガラとひどい音をたてて網戸をあけ、それをしめて、土蔵から出て来た。出た途端に、ボオッと炎暑でやけた外気が体につつみかかって来るのがわかった。半地下室の方が涼しいことは全く事実なのだった。
「見えなかったわ」
 伸子は、食堂にいる多計代のわきの出まどに腰かけた。
「保さん、いつから、あんなしゃれたこと工夫したの?」
「さあいつごろだったろう……なにしろ、ことしの暑気は実際ひどいものね、無理はないよ。わたしも二階はほてりで寝苦しくて閉口だ」
 扇風機が多計代のよこてから風を送っていた。
「お母様、保さん、ぜひ一緒につれていらっしゃいよ」
「ああ、わたしもそう思っていたらね、ドイツ語の講習会がすんだら、珍しく今年は東大路さんなんかと、しばらく野尻湖の夏季寮へ行くんだとさ。あっちは、これからだそうだよ」
 多計代は、その叔父の著書で知っている東大路という名に、自分の安心をもたせかけているような調子でいった。和一郎の方は、十日ばかり前から湘南にある飯倉の伯父の別荘に行っているらしかった。漆細工で柿の実を飾った小ひきだしの上に、和一郎がペンで描いた西瓜泥棒の漫画エハガキがのっていた。いろいろ愉快にやってます、と文句は簡単であるけれども、小枝やその兄弟、従弟たち若いものばかりの無邪気で野放図な昼夜の情景――そのエピソードには西瓜どろぼうもはいっているらしい賑やかさが偲ばれた。彼らのところには正真正銘の夏があるらしかった。
 多計代が、
「吉見さんはこのごろどうだい?」
と、きいた。
「きょうは、一緒じゃなかったのかい?」
「あのひとは京都へ行ったわ」
「――へえ」
 それは、皮肉の用意された調子であった。
「なにか京都にあるのかい」
 伸子は、
「親があるわ」
と、ぶっきら棒にいった。
「用もあるでしょう」
 多計代は、しばらくだまっていたが、わきの手提袋から小鈴のついた鋏を出して爪をきりながら、
「伸ちゃん、相川さんの、あの女人ていうのはいったい誰のことなんだい」
ときいた。
 新聞に発表された「ある旧友への手紙」の中に、相川良之介が死にとび入るために一つのスプリング・ボードとして女人を必要と感じたことが書かれていた。一人の婦人が一緒に死のうとしたが、それは出来ない相談となった。やがて、そういうスプリング・ボードもいらないようになった、とかかれていた。相川良之介の死が公表された朝の記事に、記者会見で故人の旧友の一人である久留雅雄が、その点についての記者の質問に答えていた。妻をいたわりたいと思った、と相川良之介が書いているのだから、それはおそらく夫人のことであったろう、と。伸子は、そう理解しなかった。たとい死別するにもしろ、ということばを前提として妻をいたわりたい、とのべられていることは、女人と夫人とは別のひとであった事実を語っている。いずれにしろ、こういう心理は、記録されている全体の経過のうちの一部分であるにすぎないと思われた。こういう心持のときもあった、そういう比重で書いてあることとしてよまれた。伸子には、女人のことよりも、相川良之介が、僕の遺産は百坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯金の二千円あるだけである。僕は、僕の自殺したことで僕の家の売れないことを苦にした。別荘の一つもあるブルジョア達にうらやましさを感じた、と書いている、そのことに妻子をのこし芸術家として死のうとする彼の良人とし父親としての思いの厚さを感じていたのであった。
 常にふかいつきあいもなかったことがわかっている自分に、多計代が、どうしてそんなに機微に属することをきいたりするのかと伸子は怪しんだ。
「どうして、わたしが知っているの?」
「だってさ――いずれ文学に関係をもっている女のひとだろうからさ」
「知らない」
 伸子は、いとわしそうに眉根をくもらして首をふった。
「相川良之介のようなひとが一緒に死のうとまで思ったくらいなら、おそらく、よっぽど魅力のある女のひとだったんだろうねえ」
 それらの言葉から母の関心の焦点がのみこめた。
「相川さんの細君というひとは、いずれ平凡なひとなんだろう?」
 ――またはじまった! 心のうちで叫ぶように感じ、伸子は出窓にかけていたからだを思わずおこした。あんまりいやな気持がした。
「そういう比較はするもんじゃないわよ。誰が知っているの? そんなこと!」
 漠然と語られている女人の方に魅力があって、細君の方は平凡なひとだと勝手にきめてかかる、そのいやしさは伸子の胸をしぼった。越智の若い妻についてもいつか多計代はなんといっただろう。自分と、どう比較しただろう。相川夫人についていまいっている、そっくりそのままをいった。その後、越智とのいきさつがああいう風に結末しても、多計代がそこから学んだのはただ越智を軽蔑するという一つのことだけしかなかったのだろうか。
「……ほんとに、誰なんだろう――」
 いやな顔をしてかたく黙っている伸子の横前で、紺ちぢみの品のいい蛇の目しぼりの浴衣の袂をうごかして、多計代はきった爪をとりあつめた紙を丸めて屑籠にすてた。
「相川良之介でさえ、やっぱりかげではこんな女のひととのかかりあいがあったんだものねえ――どうして男って、みんなこうなんだろう」
 多計代は、
「つくづく厭になって来る!」
 嫌悪をこめていった。
「男なんてものは、誰だって信用出来ゃしない。かげではなにをしているのかしれたもんじゃありゃしない。――相川さんの細君だって、きいてごらん。きっと、その女のひとのことなんか、最後まで知っちゃいなかったに違いないんだから」
 強情にだまりつづけている伸子に、ほとんど挑戦するように、
「もう私は、決して男の勝手をゆるしゃしないから!」
と力をこめて多計代がいいきったとき、伸子はからだのどこかを指環のはまった女の拳でこづかれるように感じた。
「日本の女はなにをされたって泣きねいりばっかりしているから男はほうずがありゃしない――どっちをみても幻滅さ」
 多計代のそういう云いかたをきいていると、伸子は、ますます母のこころが、越智とのいきさつ以来、このごろになってからまた一つの転機をへたのを感じた。多計代は素朴に撞着した熱情のまま、その熱情の限りで、ひよわい越智をおして行った。その結果は、丁度ひとが、自分のからだの全重量をかけて廻転扉をつよくおしすぎて、外へ出るよりもはやすぎるスピードでドアがまわってしまい、また逆にもとのところへ戻ったような工合だった。多計代は自分の心の力にまけて、自分の心のこまかい組立てをしんみりと吟味するゆとりもなく、男のひよわさの裏ばかりをひとまわりしてしまった。そして、女の自己肯定にこりかたまったように見える。
 伸子は一種の恐慌の感じでこの新しい事実をうけとった。多計代のうちに燃えゆれていた最後のみずみずしさ、柔軟さは徒労のうちに燃えつきた。そこには灰色にかたまったおき[#「おき」に傍点]がのこされた。もう二度とそれに火はつかないだろう。そして多計代が人生のいろいろな面、とくに男女のいきさつについてもっている偏見は、矛盾したまま冷えかたまって、多計代の生活にあるあらゆる自己撞着はこれからさきはひとしお威厳の加わったものとなって、佐々の家庭に君臨するであろう。伸子はそこに恐慌を感じるのであった。

        二十一

 二三日の予定で京都へ行った素子は、五六日ノビル、という電報をよこした。九月号の文芸雑誌は、急に相川良之介についての特集を行うことになって、伸子も感想を求められた。新聞にいちはやく、「改造八月号相川良之介氏の絶筆『西方の人』」という大きい広告が出ていた。「沙羅の花」「支那游記」などが同じ社から広告されていた。
 相川良之介について感想を語るとすれば、伸子は、自分の心にあるとおり、彼への疑問、肯定のつよさをおしのけるほどつよくもちあがって来る非肯定の心持から書くしかなかった。けれども、伸子には、自分が相川良之介の全貌を底の底からつかんでいるのではないという漠然とした自覚があった。「ある旧友への手紙」の中にこういうところがあった。「ただ僕にたいする社会的条件――僕の上に影をなげた封建時代のことだけは故意にそのなかに書かなかった。なぜまた故意にかかなかったかと云えば、吾々人間は今日でも多少封建時代の中にいるからである。のみならず、社会的条件などはその社会的条件のなかにいる僕自身に判然
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