、歴史的に新しい人でもないらしかった――おくれた日本という国の新しさを代表して国賓になろうとする人々のうちにある陳腐さ。あらゆる場合どこにでもあった陳腐さや浅薄をとおして、しかもなおそこに実現されようとしていることは、世界の歴史にこれまでなかった一つの光景なのだ。観光は、言葉そのものの意義を変化させようとしている。
素子と伸子とが、そろそろ帰らなければ、といい出す時分になって、俄雨がふり出した。
「この分ならじき上るでしょう」
そういって、素子はちょいちょい雨の音に耳を傾けていたが、だんだん風が加わって来て、しめた二階のガラス戸に、折々ザーとふきつけられて雨脚が流れるようになった。
「おとまりになっていらっしゃいましよ」
細君がしきりにすすめた。
「お二人ぐらい、夏ですもの――ああ蚊帳もございますことよ」
どうしようかと躊躇しているうちに、いきなり、天の一方で皮のゆるんだ大太鼓をたたいたような雷鳴がした。伸子は、口の尖ったような表情になって、いそいで電燈の下から壁ぎわの方にいざった。
「おきらい?」
白粉のある顔をむけて、ちっともこわくなさそうに笑いながら妹のひとがきいた。
「駄目なの、わたし……」
「――どうも、それゃあすみませんな」
小川豊助が、当惑したように、雷が主人である自分の責任であるように額に手をやったので、こわがっている伸子まで笑い出した。その晩、伸子と素子とは、ハルビン製だという、卵色の毛の長い毛布をかけて、小川豊助の家に泊った。
十八
素子は、出来あがった翻訳の出版社をきめる用事で数日つづけて外出した。夏の西日を駅で買った夕刊のたたんだのでよけながら帰って来ると、すぐ浴衣にきかえて素子は、
「ばかにしてる!」
と、おこった。
「現代小説なら、いくらでも出したいんですが、だとさ。――これだから、ろくな翻訳家が出ないんだ、きわものばっかり追いまわして……」
出版戦国時代という言葉が文芸批評のなかにさえ出て来たほど、予約の大規模な出版競争が行われていた。
「現代のものだって、つまらないのがあるのに――『太陽の根蔕《こんたい》』みたいに――」
「そうさ!」
ポリニャークというロシアの新しい作家が前の年日本へ来た。そして、秋山宇一そのほか無産派と云われる芸術家やロシア文学紹介者たちと日本見学をして、見聞記をかいた。それが訳され、「太陽の根蔕」として出版された。その本は、作者がどんな観察者であるかということを知るには役だったが、日本の現実を報告するという点では、日本の読者にも、従ってロシアの読者にはなお更役に立たないものに思えた。ちがった意味でのフジヤマ・サクラにすぎなかった。
素子は、行ったさきざきで、例のロシアへの国賓出発の噂話をきくらしくて、内輪のとり沙汰までつぎつぎと伸子にもつたえられた。それらの話はどれも、小川豊助の家の二階で感じたと同じ悲哀を伸子に感じさせるばかりであった。
「――やめましょう!」
伸子は自分の顔の横で手をふって、いった。
「いくらいやなことくりかえしたって、別の人に変るわけじゃなし――行けばいいのよ! 行けば、うそが通用しないことが本人にもわかっていいのよ――」
椅子の上でむき直って伸子は素子にいった。
「あなたがロシア語だから、なお、もうやめにしましょうよ、ね」
素子としては正義派めいた感情の面に立って批評しているだけなのだろうが、少くとも伸子には必要以上の執拗さがそこに感じられた。
二人が住んでいるその郊外の家の界隈は竹やぶが多くて、七月に入ってからは昼間でも蚊が出た。ほそい蚊やり線香の煙が、机の足の間から夏草の繁茂した女住居らしい庭へ流れている。電燈をつけるにはまだ早い伸子の机の上に、このあいだ新宿の駅で買った無産者新聞がひろがっていた。素子が出かけていたその午後、伸子は一人でたんのうするまであちらこちらうちかえして、その新聞を見た。大正一四年九月二〇日創刊(毎土曜日発行)というところから無産者新聞といくらかくずした字でかかれている題字の裏にある装飾の、毛の長い麦の穂や歯車・鎌・鎚・寸断されている鉄鎖などまでを、こまかに見た。記事もすっかり読んだ。伸子は興味をうごかされて、七月二日という同じ日づけの、ほかの大新聞をもって来てみた。両方をみくらべると、無産者新聞が週刊だから記事の扱いかたがちがうというばかりでなく、たとえてみると、観客席からばかり観ている舞台と、舞台うらから見ている舞台とのちがいのようなものが、記事の扱いにあった。ほかの大新聞では、出兵のことも、川崎造船のこともただどうなったかということだけしか語っていない。なぜ、それはそういうことになったかということは、もう一つの無産者新聞でだけ話されている。毎日毎日の事件が、このふたとおりの新聞で、裏からと表からと照し出されて、はじめてほんとの現実になるという発見は、伸子にぴったりとしてわかる実感だった。小説はそうなのだから。なぜ? そして、どうして? この二つなしで小説というものは出発しないから。
四頁しかないその新聞の紙面には、伸子が自分の日々にちっとも感じたことのない権力の圧迫というものを、日夜直接に痛烈にこうむって、それと抗争している人々の息づかいがみなぎっていた。いつか玄関に来た三人の、ぼうぼう頭で膏《あぶら》と垢でひかる顔をした青年たちが思い出された。つい先日、灯をつけない動坂の家の客間で保と話した話の内容や、その背景となっている学生たちのこころもちも思い浮んだ。これらはみんな伸子の生活のなかにおこっている筈のことであった。それだのに、伸子のきょうは全く平穏で、このとおり籐椅子にかけ、庭には盛夏に向って繁茂した夏草の午後のいきれがこめている。晩には、すだれの下った茶の間で、おとといそうであったように、今夜も冷たい京都風な煮うめん[#「煮うめん」に傍点]をたべるだろう。――
その平穏は、しかし伸子自身にとっても何となし澄明でなかった。新聞に、二高や松山高校の盟休について、水野文相が断然処分する、と断言したために、それらの高校の校長がつよ腰になっているばかりでなく、学内の暴力団があばれているということが云われている。これは、ほかのどの新聞にも出た。こういうことのうちには伸子に自分の平穏を懐疑させる事実があった。
文相である政友会の政治家の細君は、萬亀子といって、多計代とは、明治の初めに建てられた貴族的な女学校の同級生であった。どちらかというと親友の部類であった。萬亀子夫人が熱心な天理教信者であるため、ときどき互の意見が合わなかったが、それがすぎると、芝居の切符のことだの、同窓会のことだのと、電話でながくしゃべり合った。伸子たちは小さかったころ、その夫妻をおじさま、おばさまとよばせられた。
保は、この間、佐々は、ばかだ、生れつきの調停派だ、といわれたと伸子に話した。それは、保の通学している七年制の坊っちゃん風の高校にさえも、調停派でない学生たちの気分があるということではないだろうか。もし、保がちがった生れつきで、生れつきの調停派でなかったなら、多計代がかつておじさまとよばした、その大臣に、やはり保も処分されただろう、断然と。彼はとりも直さず、その文相であり、保はその学生なのだから。
この春、前崎にある佐々のうちへ、大磯の別荘から、萬亀子夫人が遊びに来たとき、多計代はいあわせた泰造はもとより和一郎まで加勢させて、箱根へドライヴしたり、力をつくしてもてなした。僕、へこたれちゃった、袋もちさせられて。一分刈の頭でカラーなしの制服姿の和一郎は、その日じゅうおばさまの手提袋をもってあげる役にあてられたのであった。一方的な、多計代のそういう熱中や奉仕ぶりを思うと、伸子には、それがさもしくけちけちしたことに思えた。あきるほどちやほやされつけている大臣夫人を、多計代のような古い幼な友達までが、世間並の方法でさわぐのはばかばかしかった。
痩型で、折襟のカラーをつけて、こがたい官僚風な大臣であるその政治家の顔を思い出すと、伸子は、おばさまである夫人の敏捷で悧溌な凹み眼と、うすく水白粉のはかれている顔や沈んだ色の紅をさした唇で、軽く、やや口早にげびない蓮葉さでものを云うときの表情を思いおこした。夫婦は、その夫婦らしい会話の間で、どんな風に、新聞に出た学生処分のことなどについて話しあうだろう。伸子は突然、あすこに息子はいなかったかしら、と思った。そして、憎悪を感じた。「断然処分する!」あすこに男の子がいるとしてもきっとまだ小さいんだろう。末っ子かもしれない。伸子は、新聞をたたみながらそう思った。
素子の翻訳した書簡集は、やがてある文芸書を専門にしている出版社から出ることにきまった。
「よかったわ――おめでとう」
素子は、うれしそうに上気しながら、つみのないまけおしみで、
「出すの、あたりまえさ」
といった。
「本当にいいものなんだもの。――もし出さなけりゃ、むこうがばかなのさ」
「それゃそうだけれど……」
伸子とすれば、間もなく、自分がこの二三年かかって書いた長い小説がまとまりかかっている。そのとき、素子の仕事も、はじめての業績として出版されることになったのを、うれしく思うのであった。
「――ひとつ献辞をかかなくちゃ、わるいかな」
「結構よ」
「外国の作家はよくやってるじゃないか」
「だって……」
伸子は、首をすくめた。
「わたしも、じゃ書くの? 献ぐって?」
二人は笑った。素子は、赤いパイプを口の中でころがすようにして目を細め、ポプラの枝の間に白く光っているとなりの洗濯ものを見ていたが、ふと椅子ごと伸子の方へ向きかわるようにし、
「ぶこちゃん!」
改まってよんだ。
「なあに」
「――実はこの間うちから考えていたんだが、ここでひとつ、思いきってロシアへ行って来ようと思うんだがどう思う?」
「――……」
とっさに伸子はへんじが出なかった。ロシアへ行こうと思う――。素子がしきりに拘泥していたロシアへの国賓のこと。素子はロシア語専門であること。今のところ行って帰って来た人は少いし、行こうとしている人もごく少い。民間の婦人としては一人もいなかった。素子が行きたいと思う動機はひととおりわかりはするのであったが……。
「――急なのねえ」
そのことがら全体がよく会得出来ない、ぼんやりした表情で伸子はつぶやいた。
「それゃあなたは専門だから、行くのがいいのはわかるけれど……」
前年の初秋、コンラードという東洋語学者が美しい細君同伴で日本へ来たことがあった。その歓迎会に伸子も素子と一緒に出席した。源氏物語を、ロシア語に抄訳しているというその教授の話の様子では、交換教授の可能性もあるような工合であったが、素子はそのときは格別の興味も示さなかった。
――でも、何故、素子はこの話にかぎって結論からいい出したのだろう。いつもは、伸子が煩しいと感じるぐらい、思いついた計画の第一歩から話す素子だのに。――急にわいて来る様々な疑問を、とりあえず一番簡単な問いにまとめたように、伸子はきいた。
「――お金、あるの?」
素子は、そうきく伸子の腑におちかねながら緊張している顔を見やり、
「なんとかなるだろう」
その点も、十分考えてある、という風に答えた。
「帰ってみた上でなくちゃたしかなことはわからないけれど、だいたいなんとかなるだろう――私の分を、この際いちどきに貰っちゃうのさ」
関西にいる父親から、素子の分として予定されている財産を、まとめて貰って、それでロシアへ行って来ようというのであった。伸子は、財産のことについてそういう計画的な方法をとっているのが素子親子であることに、珍しい感じを動かされながら、当惑したように、
「わたしは駄目だわ、とても動坂なんかから、お金出してもらえない」
といった。
七八年前、伸子は父につれられてニューヨークへゆき、そこで一年あまり暮した。そして、佃と結婚して、帰って来た。その間の費用は、佐々の親から出してもらった。そうして費用を出してもらったというこ
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