れないもんだから」
 タバコずきの素子は駅の売店で、ウェストミンスタアのプレインを五箱買い、自分のために一箱買った。
 素子が自分の買うのはきまっていても、あれやこれやと外国タバコの箱を出させてたのしみらしくひねくっている間、伸子は同じ店頭で新刊書を眺めた。その朝の新聞が少しのこっている。そのわきに無産者新聞というのが重ねてあった。名はきいていたが、伸子はほんものをはじめて見た。ほかの大新聞はどれも一面いっぱいが広告で「わかもと」という四つの字をぶっこぬき縦にとおしてみたり、予約募集の出版広告でうずめているのに、その無産者新聞は、田中義一の軍閥内閣の満蒙侵略の画策に反対せよと東方会議の記事を一面にのせていた。「蒋介石も奉軍攻撃」と張作霖の没落の記事がある。広告だらけでないその新聞のしまった表情が伸子の心にふれた。伸子は手にとって見ていた無産者新聞をそれなり四つにたたんでふくさ[#「ふくさ」に傍点]の中にしまい売子の男に五銭白銅を一つわたした。
 伸子たちは、新宿駅の横手からガードをくぐってゆく電車にのった。小川豊助は、鍋屋横町でおりて、少し奥へ入ったところにいるのであった。
 郊外の住宅地らしい生垣の間をゆくと、つい通りこしてしまいそうな垣根の隅に、横向きのように簡単な門があった。二階が見えていて、その門を入るといきなり右手に井戸があった。いきなり井戸のある門口は何だか風変りで、そういう家に住む小川豊助という人がオブローモフを訳しているということも、伸子を気やすい思いにさせた。
「こんちはア」
 格子の前で素子が声をかけた。返事がなかった。
「――いないんですか?」
 そういいながら格子に手をかけたら、すらりとあいた。
「不用心だなあ――小川さん! わたしですよ。いないんですか?」
 そのとき二階から大柄な二十四五の女がいそいで降りて来た。そして、
「ようこそ、どうぞ」
と玄関に膝をついた。そのあとから、小川豊助も降りて来て、階下口の鴨居へ片手をつっぱるようにして顔をまずのぞけながら、
「やあ、よく来て下さいました、どうぞ、どうぞ」
 初対面の伸子に向って、改めて頭を下げた。小川豊助はこまかい縞ちぢみの単衣をいくらか胸のはだけたように着て、ゆるく兵児帯をまきつけている。年より早く頭がはげていた。にきびのあとのでこぼこがあるあぶらぎった顔の上に、小ぶりな銀ぶち眼鏡がかかっている。それは好人物の印象であった。
 二階の書斎兼客間に通された伸子はそこにある一つ一つのものに興味を動かされた。その部屋の一隅に大きい茶色の書きもの机が置いてあった。その机は、伸子が本の插画の古い銅版画で見ているプーシュキンの書斎にあった机のような型で、グリグリのついた足と、いくつもの小引出しとをもって、いかにもロシアの古机であった。壁に、海洋を描いた画家として有名であったアイバゾフスキーの嵐の夜の海の写真版がかかっている。反対のもっと光線のすくない方の壁に、この間うち開かれていた現代ロシア美術展のとき売っていた赤いサラファンを着た太った若い女の絵の色刷りがはってある。それがロシアの復活祭のとき飾る色つけ玉子を真似したおもちゃだという、こまかい朱うるしで絵をかいた玉子形の飾りが本箱の上にあるのを見て、伸子は、
「持って拝見してもいいかしら」
 そっととりあげて眺めた。日本のうるしの細工とまるでちがう手法で、赤い玉子のおなかにまた楕円形の灰色の地があって、そこに橇遊びをしている冬の湖上の風景がミニェチュア風に描かれている。
「だから来てよかったじゃないか、ぶこちゃん」
 素子が本棚のところに立っている伸子をからかって、小川豊助にいった。
「なかなかひっこみじあんで、きょうもはじめは、わたし一人で上れっていっていたんですよ」
「本当によく来て下さいました。屑のようなものだけれど、こうして日本でみるとなつかしいもんですな。――ハルビンにいたときの記念品みたいなわけで……」
 さっきの若い女のひとが、お茶を運んで来た。細君の妹ということだった。やがて、
「どうも、失礼いたしました。つい、手まわしが下手だもんで……」
 そういいながら、あっさりと木綿の白地の単衣を着た細君が買物から戻って来た。その細君をみて、伸子は、妹という若い女との対照をつよく感じた。細君は小柄なひとであった。しまった浅黒いからだで、小じんまりした顔の造作のなかに、二つの眼がからだの小ささに似あわしくないつよい光をもっていた。愛嬌がよくて、声を立てて笑うのに、その二つのつよく光ってる眼の中は笑わなかった。伸子は、その笑わない眼が無視できなかった。自分だけは、姉とちがって薄紫の銘仙の単衣を着て、人絹であるけれど華やかなアマリリスの花のついた帯をしめ、大柄なからだのぼってりとしたしなやかな重さを一つ一つの動作につれて自分でもたのしんでいるような妹というひとのどこかゆるんだとりなしは、つつましくまめな主婦の気分で統一され、それを意識している姉とひどくちがった。一つ家の中で、小川豊助を中心にして、姉と妹とが、女としてそういう対照的な存在となって生活しているように感じられ、それは、素子が関西の生家を出て暮している理由にも似ていた。素子を生んだ母は、色の浅黒い、地味で実直な町家の主婦であった。あとの弟妹たちを生んだひとは、姉と反対の色白で、ぽっちゃりしていて、音曲《おんぎょく》の上手なひとである。
 素子は、早速買って来たタバコの箱をあけてすいながら、古い友達の調子で、小川豊助とあれこれと仕事上の話をしていた。
「あなたにしちゃ珍しいもの訳したんですね」
「ああ。あのレーニンですか」
 小川豊助は、すこし顔をあからめて、はげている頭をなでた。
「是非ってたのまれましてね。柄にないもんだがやってみたんです。やってみると、面白いですね、文学の下らないものよりよっぽどためになったし、面白かった」
「でも、あの題、何だか文学くさいじゃありませんか」
 伸子も同感で、ほほえんだ。二三日前の新聞に彼が訳したレーニンの本の広告があって、その題が「一歩は前へ、二歩は後へ」とあった。伸子はおかしがって、
「どっちへゆくんだかわからないみたいだわ」
と笑った。素子も、
「オブローモフだ、これじゃ」
と笑った。そのことをいっているのであった。
 夕飯の食卓に、それもハルビン時代のものだというウォツカ用の切子《きりこ》の瓶が出た。それには葡萄酒が入れられていた。白い卓布をかけた卓に、小さいコップが並べられて、台所と茶の間の往復は、水色のエプロンをかけた細君がした。妹のひとが、小川と素子の間に坐って、とりもち役にまわった。
 葡萄酒ですこし赤らんだ素子が、
「あんなに姉さんにばかり働かしといて、いいんですか」
とじょうだんのようにいった。するとしめた障子のむこう側から、
「いえ、いえ。こっちは一人で十分なんでございますから……どうぞ御心配なく――」
 下を向いた手もとでは細かく何かしているらしい声で細君が答えた。
「わたしは、なにも出来ないもんですから……」
 妹のひとは、そういって声を立てずに笑った。そして、ちらりと小川豊助を見あげた。小川豊助は、素子からもらったタバコに火をつけて、それを右手の指の間にはさみながら、その場に錯綜した神経にも格別煩わされもしていない風で葡萄酒をすすった。
 二階へ戻って、小川と素子は縁側の籐椅子へ出た。
「ここがヴェランダになっているといいんですがどうも……」
 小川豊助は、
「ハルビンあたりでさえ夏の別荘《ダーチャ》気分はいいですなア、夜、ヴェランダで涼みながらサモワールをかこんでいると、ギターがきこえて来たりして……」
 追懐につれて俄かに思いおこしたらしく、
「そういえば、いよいよ日本からの国賓もきまったようですね」
といった。
「へえ」
 素子は、
「そうですか? いつ?――ちっとも知らなかった!」
 刺戟をうけた表情になってききかえした。
「そろそろ旅券も下りるらしいようですよ」
 ソヴェト・ロシアが革命十年の記念祭に、世界各国から文化代表を招待して、一ヵ月間国賓として見学させるという計画が、春ごろから噂にのぼっていたところであった。
「誰です?――国賓は……」
 国賓というとき、素子は、皮肉なゆっくりした口調になった。
「大体、噂にのぼっていた人々らしいですよ」
「あ、佐内満、秋山宇一、瀬川誠夫、そんなところですか」
「それに尾田君も加わっているらしいです」
「尾田君が?――国賓?」
 素子は、タバコをもっている手で自分の顎を下からしごきあげるようにしながら、あおむいて笑った。
「すごいことになったもんだ――誰がきめたんです?」
「それは、こっちに来ている文化連絡の代表と相談してきめたんでしょう」
「その相談をした人が問題なのさ」
 小川豊助は、鋭い素子の勢におされて、しばらく沈黙していたが、
「やっぱりいろいろのいきさつもあるんでしょうし……」
 苦労になれ、また同時にそういう派手やかな場合、問題の圏外におかれつけて来ている人のおとなしさで小川豊助は答えた。
「交渉した人をとりのけてきめることも出来なかったんでしょう」
「しかしそれゃ情実ですよ。いやしくも国賓となれば、日本の文化人の代表だもの……変だなあ」
 素子は、非常に根づよく追究した。
「どうして、登坂先生をのけものにしたんだろう。ロシア文学関係では、芝居の佐内さんと同じに功績のある人なのに――独創的ではないけれど……不公平ですよ」
 素子が、伊豆へ一緒に行って一夏暮したのはその登坂教授であった。
「そんな不公平を、どうして後輩がだまっているんだろう。薄情だ」
 伸子は、かたわらからきいていて、どこにでもおこることがまたここでくりかえされていると思った。外国人同士の間で、まっさきに自分を紹介し、自分を推薦し、代表らしく扱わせる人々というものが、いつも必ずしも本国の人全体からそれだけの価値をもって見られているというのではない場合が多い。伸子が、少女としてニューヨークの大学の寄宿舎に暮していたときも、外国の人々の前に、茶だの生花だの振袖だので自分をあらわしてゆくある種の人の方法に対して、いつも調和しにくかった。ほんとの人間としての日本人の精神にある教養、世界の輪の一つとしての日本人のこころは、もっと奥にある。伸子には、そう思えて、領事館などで催される社交的な集会などへ、伸子も若い日本の娘の一人だということで、日本服などを着せられ、接待役によばれることを、きらった。国際的な感情といっても、それはあらゆる外国の通俗の慣習にただなじむことではない。外国の人間の新しい感覚でそれを感じあって、より高い偏見や先入観のない関係へすすめてゆく。好奇心をより人間らしい、互にわかったものにしてゆく。おぼろげに伸子の感じている国際的という内容は、そういう方向をもっていた。
 夏の宵闇に涼みながら、ソヴェトへの国賓のとりざたをきいていると、伸子は、ロシアという国に錯綜している古さ新しさについて、またそれをとりかこむ国々の人の好意のなかにさえある古さと新しさ、利害のまじりあいについて、複雑な心持がした。ロシアが、ソヴェト・ロシアと呼ばれるようになり、ペテルブルグがレーニングラードと名づけられてからのロシアについて、伸子は、一般の人々が知っている以上のなにも知っているといえなかった。ただ、トルストイによってあのように描かれたロシアの生活、チェホフの語ったあのロシアの感情、そしてチャイコフスキーの悲愴交響曲や胡桃割の舞踊曲がその諧調で世界のこころに刻みつけたあの胸せまるロシアが、新しいロシアになったということについては、深い深いおどろきと魅力とがあった。そのロシアへの国賓ということには、それに向って人々を注目させ、嫉妬させる刺戟がこもっている。せり合って、幾人かの国賓の中に加わろうとする心に、まじりけない憧れ、好学心しかないといえば、その無垢さはかえっておとぎ話めいた。日本における新しい国の代表とされている古い人――事実その東洋学者は若くなかったし
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