そ生活出来なかったし、結婚ということをまたくりかえしたいことと思えなかったが、それは多計代のいうように「男なんて」と結論されるわけのことではなかった。よしんば男そのものが伸子にとって自然な牽引をもっていたとしても、女がその妻となったときに生じて来た家庭と、その中での男女の関係が、伸子にとって自然になじめないものなのだった。男なんて、といいながら、妻であり母であることに新しく落ちついたような多計代の姿は、そこから飛び立とう、飛び立とうとしているようだった時とはまた別な居心地わるさを伸子に感じさせるのであった。
 多計代は、うこん木綿の大風呂敷に、もう使えなくなったシャツ類をまとめて、しばっている。そうして整理された古着、古布類は、佐々の田舎の昔なじみの農家であるおかめ[#「おかめ」に傍点]ばあさまのところに送られた。おかめばあさまは、それをつくろって子や孫にきせ、その役に立たない分はこまかく裂いて機にかけた。風呂場の足ふきや、畳廊下のしきものになる厚いくず織が、二年に一度ぐらい佐々の家へ送られて来た。
 伸子は、いまにもなんとかいいたそうに、ちらり、ちらりと指環のきらめく手でぼろをわけている母を見た。が、とうとういいそびれた。多計代は、多計代らしく越智とのこころもちを決算した。心をかたくし、軽蔑によって自分のうける傷をかるくすませている。そこに、女の年齢と、夫人として生きて来るうち、いつか身についた不思議な厚かましさがある。伸子にはそう思えた。だけれども、保はどういうことになるのだろう。伸子はそのことをしりたかった。いままでどおり、保は越智とつき合ってゆくのだろうか。本当に人間として越智から影響されるのは若く受けみな保だと伸子は思った。その保の身に即して、多計代は自分の心がへたばかりの苦い思いを、どう結びつけて見ているのだろう。
 多計代のほとんど毅然としたという風な美しい横顔には、伸子がそこに求めているこまやかなニュアンスが微塵もなかった。多計代は越智を軽蔑しきることで、自分の高まりを感じ、そこに誇りをたもっている。伸子は、いつだったか父の友人が、保さんという御子息は奥さんの|情熱の子《パッショネート・チャイルド》ですね、といったことを思い出した。多計代は、そういわれたとき非常に満足の表情をした。保が生きてゆく具体的な内容よりも、多計代にとっては、彼がいつも変らない母の|情熱の子《パッショネート・チャイルド》であるという意識の方がさきに映っているのではないだろうか。保は、どういうことになるのだろう。伸子はどうしてもそれが気になった。堂々と、自分の問題はわりきれたことに誇りをとりもどしている多計代の様子は、忘られ二の次にされている保への残酷に似たものとして伸子に感じられた。

        十七

 そのころになって、素子の翻訳の仕事がほとんど完成した。前の年の初夏に着手されたものであったから、一年ぶりで出来あがった。素子としてはじめての大きい仕事であったし、文学史の上でも、ロシアの近代古典作家の生活の鏡として、特にモスクワ芸術座のはじまりごろの文献として、価値も興味もふかい書簡集であった。
 出版|書肆《しょし》はきまっていなかった。けれども、一仕事終った素子ははればれとした顔つきで、赤くすきとおったパイプをくわえながら、厚く綴じこまれた原稿がいくつも重ねてのせられている机のまわりをまわって歩いた。そして、ふっと何か思いつき、頁をめくり、それなり腰をおろして一つ二つ字句を直したり、縁側の方に立って逆に机の上の辞書をひらいたりした。それは、いかにもたのしそうな様子であった。
 伸子はわざと自分の机のところから動かず、
「胃弱はいかが?」
と、そういうたのしそうな素子にきいた。
「いかにも悪そうな顔色だことよ」
「意地わるいうもんじゃないよ、ぶこちゃん」
 そして、ちょいと歯の間から舌のさきを出して、
「ほんとに。――直っちゃってる!」
 首をすくめながら小声で眉根をあげていった。
「だから本当でしょう? いるのは薬じゃなかったのよ」
「いちごんもないね」
 伸子がはじめて会ったころ、素子は不眠だといって、アダリンをのんだり、胃弱だといって散薬をのんだり、昼間でもなまあくびばかりしていた。小麦色の肌もさえなかった。伸子は睡眠薬の必要を知らなかったし、一人暮しをしている女がそういう薬を常用したりすることが気にそまなかった。伸子は、いくら素子が眠れなくても、おしゃべりや読書につきあう代り睡眠薬はやめにした。胃弱用の薬というのも、きれたときを機会にやめた。それからしばらくして、素子はこんど出来上った翻訳にとりかかって、昼間のなまあくびを消滅したのであった。
 伸子のところから、関西風に袖の短い銘仙絣をきて、頸根っこに重くまるめた髪をこちらに見せ、机に向っている素子の横姿が眺められる。その素子が、昨今は忘れて暮しているなまあくびも、素子の一生にとっては因縁をもっていた。素子が、私立大学の露文科に勉強していた頃、その担任教授が、夏休みの間、積極的な学生数人をグループにして伊豆の海岸にある辺鄙《へんぴ》な温泉へ行った。質素な宿屋暮しをして、休暇中の勉強がてら、その教授の翻訳を手つだうという仕組であった。休暇も終りに近づいたとき、教授の発企で、みんなが大島の三原山へピクニックに出かけた。素子も当然その一行に加わって。――
 海は荒かった。島へついた一行はいよいよ三原山のぼりにかかったが、一行の中でただ一人の若い女性だった素子は海でもまれたためくたびれて、間もなくついて行けなくなり、登山道のはたにある岩に腰かけて休むことにした。一行は先へゆき、一人の青年が素子とともにのこった。その青年は同じ大学の卒業生ではあったが科がちがった。政治科を出て高文の準備をしていた。偶然、同じ宿にとまりあわせ、夏の休みの勤勉であるがくつろいだ集団生活の中で接触し、三原山のぼりにも参加した。その青年が、岩に腰かけた素子の足もとにのこった。海水浴のときかぶる経木真田のつばびろ帽子で烈しい晩夏の光線を顔のところだけさえぎり、白い麻の着物をきて、ふっくりした手にえくぼのある素子の足もとに、スポーツ・シャツ姿のその青年が横になり、ぽつり、ぽつりものをいっている。素子は次第に胸苦しさがしずまってきた。そして何心なく、あくびを一つした。つづいてすぐまた一つした。間をおかず三つめのあくびが出たとき、素子はぼんやりした狼狽を感じた。どうして、こんなにあくびが出るんだろう、そう思った。そして、もうあくびをしまいと思った。あくびは普通退屈のとき出るものとされている。足許の青年は、自分がそんなに退屈なものと思われていると考えたら不愉快だろうし、素子はその青年に対して好い感情をもっていた。素子が、もうしまいと心で力めば力むほど、あくびはとまらなくなった。その青年はひょっと顔をあげて素子の顔を見、何かの話をきり出そうとした途端、素子の心もちとは全くちぐはぐなあくびがとめどもなくまた出た。青年はおどろいた様子で、素子がものも云わず涙をこぼしあくびしている顔から視線をそらした。素子は、そのときはっきりと感じた。何かの機会が、二人の間から去ったということを。素子は、素子らしく、
「畜生! どうしたんだろう、このあくび!」
とわが身をつねるように罵るそばから、あくびはとまらず、青年は、おだやかに慰めた。
「疲れたんですよ。――よっぽど疲れたんだ」
 しかし、何かの機会はすぎてしまった。
 余りあくびが出つづけて妙にからだがくたくたに力抜けしてしまった素子は、その岩のところまで戻って来た一行と合流し、みんなにたすけられて宿へ戻った。
「しゃっくりというものは、二十四時間つづくと死ぬっていうが、あくびはどうですかね、そういうことはないんだろうね」
 奄美《あまみ》大島生れの、髭の濃い教授は、それが若い女性であるということで一層こころもとなさそうに、まだときどきぱふと口をあけては苦しそうにあくびをしている素子をかえりみた。
「若いご婦人は笑いがとまらない、ということはきいているが、――どうも……こういうこともあるものかな」
 医者のよびようもなくて、おいおい素子のあくびはおさまった。それから数年をへだてて素子はまたその青年とあった。そのときは仙台であった。青年はもう地方官としてそこにつとめていた。素子は、自分からそのひとを訪ねて行ったのであった。そして、勤めさきから、帰りにまわって来るそのひとを、土地の料亭で待った。芸者がよばれた。それは素子が云い出したことであった。
 素子が、そうやって仙台までさりげなく出かけた心のうちには、昔、伊豆で過した夏の思い出があり、三原山の思い出があった。あのとき、計らずもあくびでそらされた機会への関心があった。それにひかされて仙台へ行ったのであったのに、素子は、さし向いの晩餐をてれて、我からぱあとした雰囲気にしてしまった。その晩、仙台の町を素子の宿まで送って来る途中、そのひとは笑いながら、三原山の昔話をした。
「実は、あのとき僕は、あなたに求婚しようと思って大決心していたんですよ。ところが、あのあくびだもんだから……全くおどろいたなあ」
 そのひとは、そういいながら快活な高声で笑った。二人の間ではもう笑って話す昔のひとつばなしとして笑った。素子は二度めに、そして永久に、機会が去ったのを感じた。そのひとは、仙台でも、まだ独身であった。けれども、料理屋で待っていて、お給仕に芸者をよぼうという女の友達に、自分の妻を連想さえ出来なかったのは、無理もなかった。それが無理のないことであるということを、素子は万事がすんでから、そのひとが、帽子に手をかけて、
「じゃあ、またいずれ。また北海道へゆくときでも通りがかったら、しらして下さい。おかげで愉快だった」
といってわかれて行ってから、はっきりと理解したのであった。
 伸子は、素子からそういう話をきいた。
「北海道って――どうして? そのとき行ったの?」
「まさか仙台へだけ来たなんていえやしないじゃないか」
 素子は、真面目にいった。
「それからどうしたの、いま、そのひとどこにいるのかしら……」
「九州の方に赴任したらしい、ハガキが来たっけ」
「――九州へは行ってみない?」
 赤いパイプをかんでいたが、素子は、
「もう結婚しちまっているさ」
 全然、自分に関係のなくなった状態として、そういった。
 その伊豆の夏休みの集団生活のとき、上級生で一緒にいた小川豊助が、こんど素子の仕事が一段落ついた慰労に招いてくれた。
「ぶこちゃん、いつがいい?」
「さあ、わたし、あんまりよくしらないし……」
 小川豊助が「オブローモフ」を訳していて、それは伸子もよんでいた。素子は、小川豊助が湯島天神の境内の小料理やの女といきさつをおこしたとき、豊助にかわって、話をつけに行ってやったりした間柄であった。
「一人でいったら?」
 伸子は、何となしおっくうだった。伸子が小説をかいたりするせいもあって、友達となるのは大抵の場合その家の主人であり、そこの細君のこころもちに向ってくばられる神経が伸子として、多くの場合二重の負担だった。主人であるひとと話がはずめばはずむほど、伸子は細君にたいして愛想よくなくてはならない自分を感じた。そして、細君との話題は、主人であるひととの話題とはまるでちがった内容で、素子のように「男のような方」と思われていない伸子はそれが重荷なのであった。現実には、素子の方が、食物のことだの、着物のことだのを遙かにくわしく知っているのに――。
「ぶこちゃんも行くっていってやるよ、いいね、十日に――」
 ハガキをかきながら素子は、
「ぶこちゃんのひっこみ思案は、謙遜からじゃなくて、傲慢からさ」
といった。
「だからどしどし、ひっぱりだしてやるんだ」
 約束した日の午後、素子と伸子とは一旦新宿でおりて、小川豊助のところへもってゆく手みやげを買った。
「タバコにしよう」
 素子が新宿駅のプラットフォームを歩きながらきめた。
「自分じゃなかなか気ば
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