ようになって来た。少くとも今伸子の前に並んでいる三つの若い顔のどれにも、苦悩の刻みめは大して刻みこまれていないように見えた。その顔々の上には、そういう風に毎日を生きている生活の習慣があらわれており、その習慣で身についたかまえがあるけれども、世間は紙くずが街頭をころがってゆくのを見るようにこの人々の生活を見ていて、うるさいときには少しの金をやって、追っぱらって来ているように思えた。そして、そういう関係もこの人々にとっては習慣のようになっているように思えるのであった。伸子はそこに社会の真の酷薄さを感じた。亢奮がしずまって、伸子は少しユーモラスに、
「どうも、あなたがたは、見当ちがいのところへいらしたようね」
といった。
「自分で書いて暮しているんだから、お金なんてないのよ。それに、わたしは、面倒くさいからくれてやれ、という風に、あなたがたを見る心持になれないんです」
 するとさっき、ゆするようにものをいった青年が、
「ふん」
と嘲弄した。
「詭弁でやがらあ」
 伸子は再び沈黙した。自分が詭弁を弄しているとは思えなかった。伸子の内心にはおどろきと疑問がひろがりはじめているのであった。こういう形で屈辱の立場に自分をおくに耐えるなら、どうして、生活のために何か一つの職業が見つけられないということがあるのだろう。伸子は、黙ってまじまじと三つの顔を見た。ピーター・クロポトキンの「革命家の思い出」をよんだときの感銘が思い出された。クロポトキンはアナーキストではなかったろうか。クロポトキンの「ロシア文学の理想と現実」を、伸子は、二度三度とくりかえして読んだ。そこにはよりよい人生にたいして燃えるような意慾がたたえられていた。人生と文学とを、人間のそのような精神の華として語る真実と美しさとがみちていた。クロポトキンはアナーキストであった。そして、今、目の前に並んでいる三つの顔。その三つの若い男の顔は、一つ一つ生れた故郷はそれぞれにちがう田舎の相貌をもっているとともに、互いに共通な習慣的な虚勢でこちらをにらんでいる。だが、それは伸子に、これらの人々が、ただ自分たちをアナーキストと名づけているにすぎないような心持をおこさせるのであった。
 伸子は、三人に向って丁寧にいった。
「どうか、お仲間の方たちによくいっておいて下さい、佐々伸子のところへ行っても金にはならないって。――」
 一寸ひっこんで伸子は、いくらかの小銭をもってまた出て来た。
「失礼ですが電車賃をさしあげます。きっちりよ」
 郊外電車往復三人分、市電往復三人分。それだけの金をわたした。ステッキの青年は、黙ってそれをうけとった。そして、
「おい、帰ろう」
 仲間を促して二人をさきに玄関から出し、最後に自分が出て、入口の格子をうしろ手にしめた。
 その青年が、仲間をさきに出したことや、荒っぽくなく、尋常に格子をしめて行ったことなどが、伸子の心につよい印象をのこした。自分と大して年もちがわない三人の彼ら。彼らの雰囲気はあらがねのように、いいもわるいもごたごただ。はっきりわからないところだらけなのは彼らばかりのことだろうか。わからないといえば伸子もよくわからなかった。三人の青年のいわゆるアナーキストぶりはどうも納得出来ない。それなら彼らはどうしたらよいのだろう。真面目に働きなさい、というだけが今日の社会から生み出された彼らのような心理にたいする人間らしい解答の全部だとは、伸子に直感されないのであった。
 伸子は、けさ佐々へかけた電話のことや、前崎の家をはさんで多計代と自分との間にある感情のへだたりなどについて思いあわせた。社会にある貧富の差についても、伸子は多計代のようにそれを当然なことと思えなかった。それかといって、今帰って行ったアナーキストといわれる人たちのように、ただ一つのものでも、あるところから無いところへ移し、掠奪したところで、すぐそのあとから無限に貧富の差を生み出してゆく今の社会の仕組みそのものがよくなろうとは思えない。伸子は、どっちにも荷担出来ない自分の心を感じた。どっちにも荷担できない心は、これらの二つの態度よりも何かもうすこし、しゃんとして、見とおしのある方法があるのではなかろうかと思う心持に通じた。こういう心もちの自分のようなもののところへまでリャクが来たということは、伸子に、つじつまのあわない、漠然とした苦しさと馬鹿らしさを感じさせるのであった。
 伸子は、これまで自分について常にいわれて来ている一つの悪口を思い出した。それは伸子が食うに困ったことがなく、貧乏の味を知らないということであった。あの三人の青年たちも、よりよりそんな噂をして、一つ行ってやれ、という風にして来たのだったかもしれない。
 日ごろ伸子は、自分につきもののようなそういう悪口に余り拘泥しなかった。食うに困らずに育った、という偶然の事実は、ある人々がいうように、人生がわからないことだと直訳されきれるものでない。そのことを伸子は確信していた。食うに困った覚えがないということが、ただ人間を低めるだけの意味しかないものだとも信じなかった。さもないなら、大昔から人間の善意がどうしてあんなに熱心に、貧困による不幸や暗さとたたかいつづけて来ただろう。ユートピアを考えたひとは、誰だって、まず第一に貧困というものがない社会を想像した。
 無産階級、プロレタリアという言葉は、文学の分野にも生れて来ていて、伸子はその字を賑やかに新聞や雑誌の上で見ていた。何年か前、吉野作造が帝大主催の講演会で、サン・シモンとフーリエの話をしたことがあった。その頃まだ袴をはいていた伸子は非常な興味をもって講演をききノートをとった。それから月日がとんで、無産階級、プロレタリアという声がきこえはじめた。伸子には、今の社会で貧しい人たち、労働者を無産階級、プロレタリアということはわかったが、たとえばいま帰って行った人たちのように、金もちでもない自分のようなもの、自分で働いて生活している自分を、無産階級と対立する存在のように見なされるということは納得出来なかった。労働者の娘でなく、食うに困らないからといって、伸子は自分が人間としてよく生きようとしている意志をその人々の前に憚《はばか》ったり、はじたりしなければならないとは思えないのであった。
 紫メリンスの前かけをしめて、考えこんでいた伸子は、上りがまちに腰かけたまま、うしろの襖が細目にあけられたのに気づかなかった。急にそこがひろくあいて、
「ぶこちゃん!」
 不安にされたような素子の声で、伸子はかえってぎょっとした。
「どうした?」
 伸子は首だけあおむけ、
「どうもしない」
といった。
「帰ったんだろう?」
「帰った」
「ぶこちゃん、なかなかいいたんかきったじゃないか」
 その言葉は伸子にたいへん意外な感じを与えた。
「――たんかなんかにきこえた?」
「そういうわけじゃないけどさ。――生意気じゃないか、ひとのうちへ来て脅かすような声なんか出しやがって――」
「あのひとたちにすれば、はじめっから、たのみに来たんじゃないんだろうから……」
 二人は縁側に出してある籐椅子のところへ戻った。
「あれでいいのさ。よすぎるぐらいだ。くせになってしようがありゃしない」
 素子と伸子との生活で、伸子は子供らしいことをこわがった。夜道だとか、妙なきのこ[#「きのこ」に傍点]、いも虫、けがや死人の話、怪談。そういうものをこわがった。だが、夜中に妙な物音がしたり、きょうのような人が来たりすると、素子は亢奮して上気した顔のままその場を動かず、別なとき臆病な伸子が出て見にゆくのだった。
 素子は、あの三人を追っぱらった、という風にいうが、じかに目の前に並んだ三つのきたない若い顔々をみ、ルバーシカの下に三つの胃袋を感じ、三人の若い男の体臭さえかいだ伸子にとって、あの人々は、おっぱらわれなかった。伸子に、のこして行ったものがある。のこされたものは、従来の伸子たちの生活になかった一つの刺戟であった。
「――とんだ飛び入りが入っちゃった。おはぎ、出来てるよ、どこで食べる?」
 素子は、伸子をいたわるようにいった。
「ここにしない?」
 運ばれた皿の上でおはぎをゆっくり箸でちぎりながら、伸子は、
「なんだか妙な心持がする」
といった。
「みんなこんな気持がするのかしら」
「――何が?――ああいう連中に来られるとかい?」
「うん」
「――税みたいなもんだと思ってるだろう」
「そうかしら……」
 関東に大震災があった年の初夏、軽井沢で愛人と共に縊死した武島裕吉という有名な文学者があった。人道主義の作家で、無産者の運動がおこってから北海道に持っていた農場を小作人にただで分譲したりした。
 伸子はその人の作品はほとんど全部よんでいた。豊富だが、感傷的なものの感じかたには肌があわなかった。特に死後に発表された女の友へ送った書簡は、その甘たるさで伸子をおどろかせた。ちょうど佃との生活が破綻しはじめているときにおこったその作家の死は、伸子をつよく衝撃した。その時分伸子はただ武島裕吉の性格や恋愛、貴族的なその環境との矛盾というところにだけ、死の原因を理解していた。伸子は、いまその武島裕吉が書いたもののどこかに、しかも一度ならず、金銭の要求に来られる者の立場から感想がもらされていたのを思い出した。文句を思い出すことは出来なかった。けれども、たしかにそれはあった。
 素子があやしんで注目するほど、伸子は念入りに皿のおはぎをいくつにもちぎりながら、それを食べるのを忘れていた。武島裕吉の生きかた、つまりはその死にかたにも賛成していない伸子は、いまの自分の心にその武島裕吉が連想されたことがいやであった。

        十五

「ぶこちゃん……動坂へ行く約束してあるんだろう」
「約束ってほどでもないけれど……」
 日曜日の朝、素子がいいだした。
「行っといでよ」
「ええ……でも、行ったって……」
「ピアノでも弾いて来た方がいいんだ」
 素子がそういうには理由もあった。土曜日のロシア語の稽古に浅原蕗子が来たとき、素子は最近のニュースという工合にして、前日来た三人のぼうぼう頭の青年たちの話をした。すると蕗子が、いつも変らないふっくりとして沈着な表情で、
「どちらがお会いになりましたの?」
と、二人を見くらべた。
「それゃ、もちろんぶこちゃんですよ。私なんぞは無名の士じゃありませんか」
「お金おやりになりました?」
「やるいわれなんかあるもんか! さすがのぶこちゃんも堂々とことわりましたよ」
 蕗子は、口元をほころばして伸子を見た。伸子はその蕗子の顔をじっと見かえしていたが、
「お金をやったとか、やらなかったとかいうだけで結着してやしないでしょう?」
 視線を蕗子の上にすえた。
「それゃそうさ」
「まして、ぶこの武勇伝なんかじゃありゃしない」
「…………」
 伸子には全くどういい現わしていいかわからないいやな後味があった。
 そういう伸子の状態を、素子は、神経にこたえた結果と解釈して、気まぎらしに動坂へでも行ってくればいいとすすめるのであった。
 月曜になってから、伸子は、八重洲町にある泰造の事務所へ電話して、昼すこし前に出かけて行った。イギリス風の料理ずきな連中が援助してその頃開業した小じんまりした店があった。そこでお昼をたべよう、ということであった。
 行ってみると、泰造はまだ机からはなれられないで、伸子は事務所に通された。いろいろな大理石の見本だの蝶番《ちょうつがい》だのの見本がつみ重ねてあるわきに、高いファイル棚があり、泰造はテーブルの上に青写真をひろげて調べていた。その日はモーニングを着ていて、眼鏡のはしのところを左手の指でつまむような手つきをして青写真をのぞきこんでいる。わきに白っぽいブルーズを着た若いひとが両ひじをテーブルについて、何か説明していた。伸子が入ってゆくと、ブルーズのひとは、姿勢を改めて丁寧に礼をした。だが伸子の方はその人の名も知らなかった。入口の広いところで、昼食に立ってゆく何人かの人にすれちがったときも、その人たちはほとん
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