して、多計代は、今の自分の場合についてそのとおりに感じているのではないだろうか。妻である多計代の場合、少女だった伸子に警告したよりももっと責任は現実的であるし、そういう事情だとすれば、嘘のつけない多計代が、それについて悩むのは自然だと思われた。大柄で、多産で、衣類やもちものなどにやや俗っぽい豪華の趣味をもっている多計代のうちに、古風に、矛盾しながら保たれている純潔さ。
伸子は、ある手紙を思い出した。年月が経って古びた白いありふれた四角い大型の西洋封筒の表には、鵞堂流で英語を書いた見本のようなのんびりした曲線的な字で、ミスタ・タイゾウ・サッサと、ロンドンでの泰造の下宿先が宛名にかかれている。封のとじめには、赤い蝋で封印する代りに、赤い小さい楕円形の紙を細かいレースあみめにうちぬいた封緘紙が貼りつけてある。封筒は行儀よく鋏で截られていて、なかに日本の雁皮紙《がんぴし》にしんかき[#「しんかき」に傍点]でぴっしり書き埋めた厚い手紙が入っていた。細かく書きつめられている字は伸子によみ下せないほどの草書で、幾枚もつづいた終りの宛名に、英京ロンドンにて、なつかしき兄上様まいると、色紙にかくように優美に三行に書かれていた。多計代という名をかく前、本文の終りの一行たっぷりが、上から下までバッテンバッテンのつづきでうめられてあった。
自分に貰うことになった古い用箪笥を片づけているとき、伸子は、偶然明治四十年という日づけのあるその母の手紙を見たのであった。改良服を着てバラの花をもった三十をこしたばかりの多計代のその頃の写真が、そっくりそのまま字になったような手紙であった。伸子は珍しくなつかしくて、遠慮しながら丹念に眺めた。そのとき、手紙のおしまいの行がどうしてバッテンつづきで終っているのか、不審だった。あとになって伸子は思い当ることがあった。バッテンは、KISSを意味するバッテンであったらしい、と。あんなにどっさりの、おしまいは墨さえかすれたがむしゃらなバッテンバッテン――。伸子は足かけ五年留守居していた母が兄上様と宛名にかいていたこころもちを思いやり、同時に、そのどっさりのバッテンに親愛を感じた。その頃の写真にうつっているふっくらした母の手つきの愛らしさ、子供らしさをそこに感じた。
そういう手紙をロンドンでうけとったとき、泰造が、いつも、まずそれをポケットにしまって、しばらく落ちつかなそうにしていたあげく、きっと何とか彼とか口実をみつけて友人たちのいるその部屋から出て行ったものだ。そういうことを、冗談まじりに、泰造の古い友人から伸子もきいていた。
父と母とは、その後、しだいに変化し膨脹した経済条件につれて、いろいろな変りをその生活につけて来た。けれども、伸子が娘として父母のために、それを護りたく思う夫婦の醇朴さは失われきったといえないと思えるのであった。
「このことはね、お母様。お母様にとって、思っていらっしゃるよりも大変な危機なのかもしれないわ」
伸子は、信頼のこもった、つっこんだいいかたをした。
「わたしには、賛成していいという根拠がわからないのよ、わかるでしょう? わたしは、越智という人を信用していないんだもの。――だから、どうぞお母様もよく考えてよ、ね。本当にお願いだわ」
とられたままでいる多計代の手を、伸子ははげますようになでた。
「ね、お母様が、そう考えるようにおなりになったわけは、いくらかわかるわ。でもね……それゃお母様は、いざとなれば貧乏は平気だと思っていらっしゃるし、世間的な名誉なんか放り出せると思っていらっしゃるでしょう。それが、より価値のある生活だっていう自信さえあれば――そうでしょう」
「そう思わなくちゃ、こんなことは問題にならない」
「でもね、それは非常に複雑だと思うわ。だって、お母様は一ぺんだって、貧乏人の娘だったことはないんだし、妻として社会的な自尊心をきずつけられるような目にあったことはないんですもの。金もちでないというのと、貧乏人として扱われて来たというのとはちがうでしょう?」
伸子は話をすすめてゆくうちに、多計代がどんなに自尊心の烈しい性質であるかという実際の例を次々に思い出した。
「お母様の自尊心は佐々泰造夫人という土台で、それでもっているのよ。その土台がなくなってそして、本当に女としてのむきだしな自尊心が傷つけられるようなことになったら、どうなるのかしら……」
伸子はおそろしくなった。子供のときからみなれている母の大きい無邪気な肉体と、縁なし眼鏡をつめたくその顔の上に光らせている越智とを思い合わせると、結婚という言葉から伸子がそこに感じるのは、意味もわからないほどの不自然さ、凌辱めいた不自然感ばかりであった。
「いそいできめちゃ駄目だわ、そうでしょう?」
「私もそれはそう思っている」
「お母様の気もちだけで行動しないで、ね。わたしは、佃と結婚するとき、本当に佃だってわたしと同じように人生にたいしていろいろの希望をもっているんだと思いこんだんだわ。ただそれがわたしに向っていえないだけだと思ったのよ。それがかわいそうと思ったのよ。でも、それは間違っていたんですもの。……」
多計代は、深い吐息をついた。そして思い沈んだ表情ながら落ちついて、
「ほんとに私もよく考えよう……ありがとうよ」
そういいながら、とられていた伸子の手の中から自分の手をしずかにひっこめた。
十三
何という奇妙なこころもちだろう。
朝から素子は牛込の本屋へ出かけて、森閑としている駒沢の家の庭には、きらめく初夏の日光が溢れた。柘榴のこまかい葉の繁みは真新しい油絵具の濃い緑のように濃く、生垣越しのポプラの若木の梢は軽いやわらかな灰緑色に、三角形の葉をそよがせている。目のとどくいたるところに伸子の愛好する爽やかな新緑の濃淡がかがやいていた。それは、花の季節よりゆたかに自然の美しさを感じさせる。伸子は机の前から、そういう庭の景色を眺めていた。そこには日一日と緑の諧調を変化させているまばゆい初夏の庭がある。伸子の眼はそのまばゆい緑をじっと眺め、まばゆさのために瞳孔を細くちぢめているほどだ。だのに、伸子が外景からうける感じは変に黒かった。樹々の緑色が黒とまじり合って濁って感じられるのではなく、まばゆい純粋な新緑の美しさはそのままくっきり目に映っており、それが伸子の心に来る途中に、しまったシャッタアのように強情な黒さがあるのであった。
喪にいる、という言葉を、伸子は思い出した。喪の黒さとは、こういうものかと思った。しかし、伸子は悲しんでいるのではなかった。一つも悲傷はなかった。ただ奇妙な、不自然な、信じることの出来ない混乱が充満している。誰からも話しかけられず、考えの内側に好奇心をもたれず、きょう一人でいられることが伸子にうれしかった。
きのう、動坂の家で多計代が越智と結婚しようと思うといい出したとき、伸子は全力をつくしてその不可解なことを、わかろうと努力した。自分としては必死にわかろうと努力しながら、多計代に対しては、最大の慎重さをもとめた。本能的にそうせずにいられなかったほど、越智と母との結婚という観念は伸子にうけとりがたかった。
思えば、不思議でもある。ああやって長い間、非常に集中してそのことについて母と話していたのに、その間に一ぺんも、良人たる父の立場というものが伸子の感情に訴えて来なかった。なぜだったのだろう。結婚という考えがあんまり突飛で、あり得ることと思えなかったから、現実の生活でそういう破局に面している夫婦としての父の立場が訴えて来なかったのだろうか。十年ばかり昔、父と母とが珍しく一緒に関西から九州へ旅行したことがあった。泰造の出張をかねてであったが、髪ひとつ結うにも手間のかかる多計代が同行したことは珍しかった。二十日ばかりの旅行を終って、父と母とは九州のおいしいポンカンや日向みかんの籠をもって帰京した。そこの小さい島にだけ南洋の植物がしげっている日向の青島の話を、父も母も興味をもって話したりしたが、日がたって、伸子ばかりのとき、多計代が、
「旅行もいいけれども、私は名古屋から、よっぽど一人で帰って来てしまおうかと思った」
といった。
「どうして?」
「あんまり腹がたったからさ」
「――だから、どうしてなのよ」
「お父様ったらひとが見ていないと思って宿屋の女中と、ふざけたりなさるんだもの……」
十八になったかならない年ごろだった伸子は、きまりのわるい顔をした。
「ふざけるって……」
名古屋で、ある人の招待をうけたとき、母の仕度がおくれて父が一人さきに宿の玄関を出た。そして靴をはきかけているところへ、母がうしろの階段から下りて来た。そして階段の中途から、多計代の来ていることに気づかなかった泰造が靴をはきながら、女中の肩に手をおいているのを見た。多計代は、そのまま部屋へ戻ってしまった。急に気分がわるくなったといって動かない多計代を、主人側に気の毒がった泰造がやっとなだめて出席させ、以後は、決してそういうことはしない、と誓約したというのである。
「とても私はそんな侮辱をうけてだまっちゃいられないよ。男ってどうしてああなんだろう。あんまり日本の女に見識がないから、男はこわいものなしでいい気になっているんだもの」
多計代は、女性の威厳として、痛烈にそういった。そのとき伸子は、宿屋の女中とふざけて、と父についていう母の平気さを変に思った。酔っぱらいの大きらいな伸子は、そういう場合につかわれるふざける[#「ふざける」に傍点]という言葉を、酔っぱらいについたものとして感じ、それは父に似合わしくなく思えた。一方では宿屋の女中を、そんなに自分と対立する女として感じる母の見識というものに疑問も感じた。そういう気分で宿々に泊る母の旅心は窮屈であったろうし、同行する父にとってもかさだかであったろう。
いろいろ思いあわせているうちに、伸子は一種の滑稽を感じて口元をゆるめた。佐々の家庭では、芸者とか妾とかいう言葉はタブーで、子供のいるところでは決して出なかった。何かの場合には芸者はシンガーといわれ、妾はコンキューといわれた。そういわれても、いつかわかることはわかって来ているのであった。
男にもとめる純潔さに対して、多計代は妥協がなかった。泰造はじめ、和一郎も保も、母の純潔と考える標準で見守られ、その気分で導かれて来ている。伸子は、年とともにそういう母の趣味や見識を、男の子たちのためにむしろ気の毒に感じ、危険にも感じはじめていた。少年から青年にうつる弟たちの肉体と精神とにある種々様々な動揺について、このこまかいニュアンスについて、母が何を知っているだろう。伸子が保について、いつも気がかりになるのはその点でもあった。伸子から見る母は、そういう方面について全然無邪気であるか、さもなければ伸子にわからないほど粗野な何かを知っていて、極端にそれに反撥しているようであった。佐々の家庭の雰囲気で、純潔は絶対の価値として刻印されているのだが、それをつきつめると、純潔の実体はごくあいまいである。
爽やかな新緑の濃やかな庭の面を眺めながら、伸子が開かないシャッタアのような黒さを心の前に感じているのも、そこのことであった。
妻が、良人のいないとき、自分の別な結婚のことについて娘と話す。そういう話をしなくてはならないような感情生活を、結婚生活の中にない合わせてもってゆく。それは、多計代のいわゆる純潔なことなのだろうか。男性一般に対して、良人や息子に、あれほど純潔を要求する母が、自分にたいして、他の女の良人である男が興味をもち、進んで結婚という一つのけじめの必要を考えさせるほど切迫した関係をもつということは、多計代の純潔感に抵触しないことなのだろうか。
きのう、とり乱した母の顔を目の前に見て、伸子は我ともなく母を防衛し、母の少女っぽい純潔さを強調して自分に感じとった。けれども、いま自分の住居の机の前で、いくらか落着き筋だって考えると、それらのことのうちにはどっさり矛盾がある。うぬぼれや思いあがりがある。多計代が、
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