とった母夫人のいかめしい顔に生気がよみがえって、まるで昨夜、その華やかな棧敷《さじき》席にいたかのようだった。日本にも数年前にアンナ・パヴロバが来て、伸子は「瀕死の白鳥」の美しさに感銘されていた。私はもう二度とロシアへは帰らないでしょう。でも、ロシアの冬と音楽と舞踊は一生恋しく思うでしょうよ。母夫人は、ロシア風に煮たジャムをすすめながら、伸子にそう述懐した。
 フィリッポフ夫婦の生活やワーリャの家の人たちは、伸子に、昔から今へ生きているロシアの社会のひとこまを見せるようだった。亡命して来ていて、いわゆる白系露人といわれるそれらの人たちは、いいあわせて一九一七年前後のことは話題にしなかった。それからのちのロシアの社会や芸術の変化についても、独特な態度をもっていて、その頃日本にも伝えられて来ているルナチャルスキーとかメイエルホリドとかいう名は母夫人の話の中には決して出てこなかった。チェホフの芝居がそのまま生きているようなそれらの人々の生活気分と風習は、伸子に、これまでの文学で親しんだロシアを身近く感じさせると同時に、新しくなっている今のロシアはどう違うのだろうかと好奇心をもたせた。蕗子が、
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