佃に出会ったことはなかった。
 街々をつきぬけいくつもの角を曲って自動車が走ってゆくにつれて、青山一丁目の街の光景は次第に遠くにおきやられたが、うなぎやの手前に、青塗りの妙にとび出した露台をもった氷問屋がいまだにあったのを思い出し、伸子はふと、あれは本当はどういうことだったのだろうと思った。佃との生活がだんだん破局を重ねて来て、伸子は佃の家から逃げ出すことが多くなった。東北の田舎にいた祖母のところや、湘南にいた従妹の冬子のところへ。そういう一つの逃げ出しから動坂のうちへ帰って来たとき、多計代が一種の目つきをして、
「佃さんてひとも、あれで案外不自由なんかしていないんだろう」
 そう云って、その頃佃のうちに女中としていたみつ[#「みつ」に傍点]が、佃が病気で鎌倉へ行った先までついて行って世話していたことを話した。そのときの伸子には、せめて、みつ[#「みつ」に傍点]がそうしてくれてよかったという感情しかなかった。それから、伸子がまた決心をぐらつかせてしばらく佃と暮すようになったとき、みつ[#「みつ」に傍点]は、どうもからだがわるいからといって、青塗りのバルコニーのあるあの氷屋の二階がりをし
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