ン夫人がどうかしたの?」
「いいえねえ、越智さんが、ゲーテとシュタイン夫人のようなつき合いが理想的だっていったからさ」
 伸子は、多計代の素朴さを悲しくきいた。父と母とは、宮廷附の調馬師夫婦で、越智はゲーテの立場というのだろうか。
 多計代にとって意味のはっきりつかめない越智の衒学や議論は、情熱的な亢奮や文学趣味を好む多計代に対して肉感的な魅力とすりかえられている。だが、青年の保に対して、越智はどう作用しているのだろう。伸子は、その疑いをつきつめてゆくと、せっぱつめられる苦しい気がした。越智という人物が保の家庭教師に選ばれたことは、一つの間違いであったように思えた。越智のアカデミックによそおわれた深刻ぶりは、保の生れつきを青年期の憂悶から解放し、引き出さないで、かえって青年同士のてらいと覇気と成長力とがまじりあった旺盛な議論を、議論のための議論として保にきらわせるような妙な逆の形で観念の道へ引きこんでしまったのでないだろうか。
 伸子は保に対する心痛と自分の非力さを思って、涙ぐんだ。伸子も伸子なりに、力の限り生き、育たなければならなかった。保のために選ばれる家庭教師について考えてやるゆ
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