ように、本当のところもあるにはあるが、どこかでもっと大切なピントがはずれているように思えるのであった。
 伸子には、自然と越智という人物と保との関係が思われた。保は越智を衒学《げんがく》的と思っていないのだろうか。議論のための議論をしない人と感じているのだろうか。師弟関係がなくてむしろ若い女の感覚で越智をうけとっている伸子は、彼を衒学的な上にきざな男と思っていた。多計代が伸子に、
「伸ちゃん、お前シュタイン夫人て知っているかい」
 そうたずねたことがあった。伸子は、
「シュタイン夫人て――」
 見当のつきかねる表情をした。
「調馬師の夫人ていうシュタイン夫人のこと?」
 ゲーテとエッケルマンの対話が訳されて間もない頃で、一部にゲーテ熱がはやっていた。多計代がゲーテと情人関係のあった宮廷調馬師の細君に、なんのかかわりをもっているのであろう。多計代は、素朴に、
「大変きれいな人だったんだってね」
といった。伸子は笑い出した。
「ゲーテをアポロっていうような人たちは、ゲーテのまわりの女のひとを、みんな女神みたいに思うのかもしれないわ」
「そういう皮肉をいう」
「――でも、どうして? シュタイ
前へ 次へ
全402ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング