りであった。江田のその呼びかたは続けられている。伸子はそれを知っている。
その半面、生活の営みには、自動的なような刻薄なようなものが流れはじめていた。
そういう家庭の推移のなかで、多計代の感情は越智に向って異常に傾きかかっているのである。
沈んだ眼差しで、伸子が、杉苔の上にある西日の色を見ていると、もう戸のしまった車庫の角をまわって御用ききの自転車が通って行った。女中部屋の格子窓のところで下りて、小声で何かいっている若い男の声がした。すると、いきなり湧くようにイャーともキャーともきこえる女たちの嬌声がおこった。若衆は大人っぽいのど声で笑い、更に何かいって女たちを笑わした。笑い声は、自分たちだけの大っぴらな声であり、主婦なんぞは念頭にない声であり、呼ばれない限り無関心でいることがあたり前になっている生活の声であった。伸子は一層執拗に、杉苔の上へ目をすえた。
三
やがて豆腐屋のラッパが聞えはじめ、台所の出入りがしげくなった。父の祝いのためと思って買って来た黄色と白のバラの花を、伸子ははりあいの失われた気持でカット・グラスの花瓶にさし、それを父のどてらが置いてある
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