子に、
「運転手が、いい男でよかった。イダっていうんだよ」
と教えた。伸子は井田というのだと思って、そうよんでいた。
 そしたら、あるとき、
「これを井田におやり」
と伸子にわたした祝儀袋の上に江田殿と書いてあるのを発見した。
「あら! お父様、エダじゃないの」
「そうですよ、イダだよ」
「――……」
 伸子は笑いくずれるように父の肩ごしに祝儀袋を見せた。
「これ、何ておよみになるの、お父様は……」
「イダさ」
 これはしばらく佐々の家の一つ話になった。とんちんかんなことがおこると、
「ホラ、イダだ」
と笑った。
 一つの家庭の歴史にとって、自動車が出来るということは、生活全体に深い影響があることだった。日本のように、どの家庭でも便利のためにフォード一台もっているのが普通というのでない国では、一台の自動車は、それがどんなに見栄えのしない小型のビインであろうとも、自家用車をもっていることであり、そのことは便利以上の何ごとかを、この社会で表現することなのであった。
 江田をイダ君と呼び、どっさり車の集っている場所で、江田がききわけやすいようにと特別のサイレン風の小さい呼子をふきながら、佐々
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