た“Broken Blossoms”を看た。それから、夕靄の罩《こ》め、燈火の煌《きら》めくブロードウエーを、ずっと下町に行って、食事をした。家に帰ったのは、およそ八時頃であったろうか。
 湯をつかい、楽な部屋着に換え、窓枠に載せて置いた草花の鉢をとりこんだりしてから、さてゆっくりと、先刻《さっき》の手紙を読み始めたのである。
 文面は、如何にも父や母の慈愛と、率直な真心とを漲したものであった。遠く離れている彼等の心配と、幸福を祈ってくれる心持とが胸に滲みるように感ぜられた。
 恐らく父は、食堂の隅にあるライティング・テーブルの前に坐って、大きな暖い頭を心持右に傾げながら、考え考えこの手紙を書いてくれたのだろう。
 字句は単純で、どこにも親らしい威厳や権威を仄めかしたところはなかった。ただ、自分等の愛する者が、どうぞ不幸でないように、どうぞ正当であるように、手も眼も届かないここから、どんなに希望しているかということが、静に、抑制ある言葉の裡に籠められているのである。
 頭を突き合わせて読みながら、私は涙の湧くのを感じた。この時ほど、父や母の心が、切に我々を打ったことはない。彼等が、遠く
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