ことだ。
外務省は移民政策とし、侵略的国家発展主義者は大和魂の問題とし、それぞれ当座の落付きは得て来たのだろう。然し、こんな感情のいきさつは、決して、日本から行った委員が、ワシントンの会議や州知事の談話で諒解を得て帰ったことだけでは、どうにもなるものでないらしく思われる。
問題として故国に報ぜられ、亜米利加の新聞が書くようなことは、つまり、その陰に横わる幾千かの不愉快な小事実、または、次第に濃厚になって来た反感的雰囲気の抽象である。
いわゆる問題は、日常生活のうちに織り混り、市街の空気中に浮動して、自分のような旅行者まで、その影響を蒙らせられるのである。
何となく両方で気にしている。癪に触る奴等だと腹の底では思っている。それが、ともかくも、緊張して平気を装い、横目でじろり、じろりと、隙を狙って素早く利益を獲得しようという気分が、浅間しく漲っているのである。
条理の立たない、無智な者同志の反感ほど、見る目に苦しいものはない。暖く朗らかな街の大通りを、襟飾《ネクタイ》もなければ、カラーさえつけない日本の男が、故意《わざ》とのように肩を聳かし、靴を引ずり、四辺を眺めて通って行く。通
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