ら時刻の来るのを待っている改札掛の赧ら顔は、これより平気であり得ようか。
 手荷物を足許に置き、不規則な縦列に連った旅客の眼に、これ以上の何でもなさを注ぎ込むことが出来ようか。
 到着のとき、停車場では、機関車から小さい手押車まで、あらゆる声と響とを振撒いて、階調のある活動をする。けれども、出て行くときは、何時に限らず、気抜けのするほど、実際的に落付いている。たとい、親の死目に逢おうためでも、愛人と待ち焦れた婚宴を挙げようためでも一切構わない。時間が来れば、乗り込ませる。乗り込んだら何時には動き出すだろう、と冷静に納った雰囲気が、高い石壁に落ちる燦《きら》めきのない光線とともに、凝《じ》っと我々の心まで、沈澱させてしまうのである。
 感傷的になりようがない。
 時間が来ると、私共は“All right, sir !”と頭で合図をしながら、ゆさりと鞄を持ち上げたポーターの、盤石のような背後に従って、黙って改札口を通り抜けた。
 先は、爪先下りのだらだら坂になっている。それが尽きるところから人の顔も見分け難い薄暗闇の歩廊《プラットフォーム》が続いている。左手に、電気燈がキラキラする空の列車
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