のである。
――そのときから、まる一年と二ヵ月が経った。今、自分の立っているのは、嘗て自分を迎え入れてくれたと同じ停車場である。
あのとき、私の傍には父がいた。が、今、四枚の切符を、手套をはめた手で揃えているのは、良人である。
どこからも鐘の響は聞えない。
石畳みの、広く高いホールには、かげの方から差し込む白い艶消しの光線が漲って、踵の音を四辺に反響させながら、旅行服の婦人が通る。うす灰の空色がかった制服を着たポーターが、赤い帽子の頭を傾けて、旅行鞄を下げて来る。
待合室で区切られ、また改札口で区切られて、ここではまるで停車場らしいどよめきの来ない乗車口に立って、自分はぼんやりと四周を見廻した。
「自分は今、一年以上も棲み馴れた紐育を去ろうとしている。紐育ばかりではない。幾日かの後には、北|亜米利加《アメリカ》を去ろうとしているのだ。――」
が、人々の顔を眺めながら、私の頭に浮んだこの考えは、一向我ことらしい感興をもって来なかった。この静けさ、この旅の仲間でそんなことは、ちっとも驚くべき大事らしく感じられない。
地下の歩廊《プラットフォーム》へ通う鉄柵の際で、腕組をしなが
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