いたために、酷熱や他の自然的運命に呑み込まれずに、あの愛すべき芸術を産んだのではあるまいか。同じ、炎暑、赤道の近傍でも、土地が高燥だと、人間の精神は殺されないですむように思う自分の考は間違っているだろうか。
 メキシコにしても、そのプロダクションの種類や性質は異うが、そう考えれば考えられないこともない。
 自分が熱中して喋ったり、覗いたりしている間に、汽車は、どんどんミシシッピイの瀬戸に沿うて走った。いつか山火事があったと見えて、或る処では広大もない樹林が皆焼き払われ、黒焦げの大木が、痛々しく空に立っている。
 だんだんそれも疎になり、やがて我々の周囲は、東を向いても西を向いても、一面のスワムプになってしまった。北海道を嘗て旅行したとき、自分は、随分広いヤチを見た。そのときは、何という処だろうと思って動かされたが、今、ここを通ると、それが比較にもならない面積であったことを知った。
 あのときのように、彼方には、堅い普通の地面があるのだという感じが、どこからも来ない。目に見える限りの地平線は、同じ光る、黄色い蘆と水溜りに浸されている。涯のない、抜け切れない、彼方の側にも、このように異様な
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