眺め、植物が、ここでは、何という動物的な、凄じい感を与えるか、驚かずにはいられなかった。
 従来、自分の心にある植物という観念は、いつも変らない静謐《せいひつ》さ、新鮮、優しい沈黙の裡の発育というような諸点にかかっていた。ところが、こうして見る樹木ややどり木は、決してそんなに穏やかな生物ではない。厖大で、血が通っていそうで、激しく人間を圧迫する。南方の強烈な熱と、ミシシッピイ附近の豊饒な水分とが、特異な養液を根に送って、植物は皆、自身の感情と情慾を意識する動物のように見えるのである。
 沼沢地が多い。そこには、底知れず蒼い藻が生え蔓っている。いかにも瘴気の立ち迷っていそうな処に、丸木を組んだ小屋がある。
 チヤシを結って、木立ちの奥深く小径のついた場所もある。
 日が高く昇るにつれて、自然には、云いようのない倦怠と、生活力の鬱勃《うつぼつ》とが漲って来る。この樹木と草とが、先を競って新緑に萌え立つだろう三四月頃を想うと、北方の血をうけた自分は、息の窒るような心持がした。
 棉畑の中に立っては、淋しいなりに黒人も、自然を或る程度まで支配していることを思わせた。けれども、ここでは、彼等も、
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