いろいろな玉蜀黍《とうもろこし》を挽き、砂漠から砂漠へと、流れ聚《あつま》り消え去る歌を歌っているのだ。
○
種々様々な都市の特性。
若し我々が、深い洞察と知識とを以て見たら、この地球上に幾何在るか、多数の都会というものは、周囲の自然がそこに与える有形無形の恩沢と照し合わせて、明に、集合した人間の性格、生活の意向を代表しているものではないだろうか。
逆に見るとまた、或る目的を予想して集った一団の人類が、環境の自然によって、永年のうちに如何程|馴致《じゅんち》されるかということも考えられる。
アリゾナの砂漠の中心から僅か二十四時間の行程で、更に明美なカリフォルニアに入り、楽しそうな耕地と、市街の中枢まで身軽な田園の微風に吹かれているロスアンジェルスの市を見ると、自分は深くそのことを思わずにいられなかった。
自分の見た狭い範囲だけでも、紐育と華盛頓《ワシントン》、こことでは、住む人の心持から雰囲気が、まるで異っている。
嘗て、父がまだ一緒に滞留していた時分、小蒸汽で、ずっとハドソン川の上流から河口の方へと流れ下って見たことがある。内部に這入って見上げた紐育というものではなく、外部から欧州大陸との直接国道である水の上から紐育という大都市の輪廓を見ようというのである。
左右に絶壁の聳え立った上流では、いかにも秋の樹林の色が美しい。静かに河沿いをドライブして行く自動車や、騎馬の人かげを黒く小さく見渡しながらだんだんと下にかかり、触手のように無数の棧橋の突出た下流、日に白く光る高屋が、びっしりと肩を並べ、高さを競って詰っているのを眺めると、自分は、異様な感に打れた。
あの街の中に、用事があって歩き廻っているとき、誰一人、これほど不思議な、有り得べからざる心持には打れないだろう。責任も義務もなく、静かな波の上からこの大市街を見渡すと、何ということもなく、今にも一大変動が突発して、たちまち四十階の建物も、誇らしげなウール・ウォルスの円屋根も、一時に消えて無くなりそうな心持がするのである。
建物も、高塔も、皆、人間の、金持になりたい、世界一になりたい、という絶間ない欲求の上に生えているような気がする。実に明かな、確かな、しかも蜃気楼であるというような心持がする。
一朝何かことがあって、幾百万という住民が死に絶えたら、これらの壮大な建築物は
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