、出来るだけ少く身動きをするように正坐し、その日は久しい間文学的才能とか、文学的教養とかいうものとそのひとの社会生活における、実践との間にある活々した関係について考えた。丁度そのことのあった前に、チラリと新聞で「ナップ」解散の報道を瞥見《べっけん》したばかりの時であったし、誰かからもっとはっきり状況についての説明を聞くということも不可能な環境であったから、実際の生活からとびこんだ小さい例証も、関心の中心に在る問題とむすびつくのであった。
チェホフ全集の広告、ジイド全集発刊の広告。それらも、やはりこの前後に、手にとることは出来ない新聞の上で見た。チェホフ全集が出ると知った時、自分はチェホフがその手紙の中で、小商人の伜として育った自分はいくじなく頭を下げる癖を克服するだけにでもどれほど闘ったか知れぬと云う意味のことを書いていたのを計らず思い出した。また、帝政時代のロシア・アカデミーがゴーリキイを一度は会員として決定しておきながら、ゴーリキイが政治的注意人物で、室内監禁をうけたりしたことがわかったら、あわてふためいて決定をとり消したことがあった。その時、そのようなアカデミーであるならば自身
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