が会員であることをも寧ろ屈辱とすると云ってアカデミーをゴーリキイとともに去ったチェホフ。そういうアントン・パヴロウィッチ・チェホフの面を、こんどチェホフ全集発行の任にあたるひとは、現代の状勢にあって、どのように評価しているであろうかとも考えた。日本にも文芸院とかいうものが警保局長の手でこしらえられるというより合いの時の写真を見て、わたしはこのチェホフとアカデミーとの歴史的関係をまざまざと思い起したのであった。
 その実際を知ればしるほど非人間的な条件の深刻さがわかるような生活の連鎖の中で、母に対する自分の心持が変化をうけるようなことが起った。三月になってからであったか、或る日、風のたよりに宮本がひどく病気であるという噂のあること、だが何処に置かれているのかさがしても所在不明であるということが、わたしの耳にはいった。
 わたしは、そのことを知らなかった前と全く同じように、次の日も朝は僅々二尺四方ばかりの冬の日向に立って五分間体操をやった。乾いた手拭で裸の胸をこすった。弁当をもくった。一人の牛盗人に向って帳面をひかえた警官が、どうだ、お前金歯があるか? 口をあいて見ろと云い、ふむ、したない
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