れていることを知って、忿《いか》りも湧き立たぬほど索漠とした気持を経験した。
その気持のままで、私の日常生活には変動が生じた。荒川放水路のそばの、煤煙がふきこむ檻の内で自分は、母からの達筆な手紙を読まされた。文学的[#「文学的」に傍点]な大きい身ぶりで母が娘を思うことが説明されて終りに和歌の書添えてある手紙であったが、手紙に添えた唯一足の足袋は、コハゼがぶらぶらになったのを袋に入れて洗濯屋がかえしてよこした、それなりを袋の中もあらためぬまま持たしてくれたものであった。
わたしは片手に、徒に真白なばかりで、穿けぬ足袋をもち、片手に手紙をもち、思わずも無言のまま佇んだが、その時憤りは感ぜず、静かに、だがつよく、母がもしこのような文学的教養めいたものをまるで持たない女であったら、そしてたとえば自分によって食ってゆく立場にあるとしたらどうであったろうかと思った。もう二度と物を云うことのない息子の顔を犇《ひし》と胸元へ抱きよせながら、
「おおここがえらかったか、おウおウ」
と泣いてコメカミを撫でてやっていた小林の母の小さい濡れた顔が髣髴《ほうふつ》と目に迫った。
寒気の中で、ふところでをし
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