貧乏になることのほか、母自身の特色ある性格が大きい原因となっていたのであった。
 母とわたしは、女対女の関係で暮して来、生活態度の上でどちらも徹底した譲歩というものはしなかった。
 一九二八年八月自分がレーニングラードにいた時、二十一歳であった次弟が自殺をしてから、母は、その弟の短い生涯と死に対して自分などから見ると殆ど恐るべき影響を与えた非現実的な熱情の中へ、一層傍目もふらずおちこんでしまった。そういうファンタスティックな力で、好んで人間の高く勁く燃ゆる精神の活動について話すのであったが、問題が実際に起ると、その同じ母が信じられぬほどの理由ない卑屈さや小さい打算や卑俗さによって頸根っこをつかまれたように言動し、而もそれに賛成しない良人や子等に対して我執をはりとおすのであった。
 母に現れるこの矛盾の瞬間は悲惨であると同時に、屡々娘である自分の胸に鋭い憎悪の火を点じた。昨年十二月末、宮本がとらわれ、一月十七日に「犯罪公論」的に扮飾された記事が出た次の晩であったか、言葉にすればほんの十語に満たぬ応待であったが、その間にわたしは母の娘としてこの世に生きる心のきずなが、余りすっぱりと切り離さ
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