。
二
一九二七年の秋、ソヴェト同盟の革命十周年記念のために文化上の国賓として世界各国からモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ招待された人々は、凡《およ》そ二十数名あった。そのなかには、第一次ヨーロッパ大戦のあと「砲火」という、戦争の残虐にたいする抗議の小説をかき、新しい社会と文学への運動の先頭に立っていたフランスのアンリ・バルビュスなどの名も見えた。日本から出席した新劇の佐内満その他の人々は、祝祭の行事が終った十一月いっぱいでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を去り、佐内満は、ベルリンへ立った。伸子たちがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へついた十二月の十日すぎには、祭典の客たちの一応の移動が終ったところだった。外の国の誰々が、この行事の終ったあともなおモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にのこったのか、伸子たちは知らなかったが、ともかく秋山宇一と内海厚は、なお数ヵ月滞在の計画で、瀬川雅夫は年末に日本へ立つまで、いのこった。これらの人々が、ボリシャアヤ・モスコウスカヤというホテルから、パッサージ・ホテルへ移っていた。秋山宇一
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