オ居たるなり。その心を思いやれば涙を禁じ得ず。動坂の家へ出入りしている遠縁の青年がよばれた。父と和一郎とは土蔵の地下室のガラスをそとからこわして、僅かなそのすき間から二つの扇風機で地下室の空気の交換をはじめた。土蔵の地下室の窓は、東と西とに二つあったが、どっちも半分地面に出ているだけだった。一刻も早く換気せんとすれども、折からの雨にて余の手にある扇風機は間もなく故障をおこし、操作は遅々としてすすまず。――涙があふれて伸子は字が見えなくなった。幾度も幾度もくりかえして伸子はそのくだりをよんだ。父の涙とまじって降る雨のしぶきが顔をぬらすようだった。
 動坂の家でそういう切ない作業がつづけられている間に、よばれた遠縁の青年が、福島県の桜山の家へ避暑している多計代の許へやられた。多計代をおどろかさないために、とりあえず、保さんはこちらに来ていませんか、とたずねて。
 つづけてその先へよみすすんで、伸子は涙もかわきあがった両眼をひきつったように見開いた。手紙をもっていた手が膝の上におちた。やがてまたそれを目に近よせて熱心によみ直した。保は三月の下旬に一度死のうとしたことがあって、さいわいそのとき
前へ 次へ
全1745ページ中471ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング