ヒだらけの、ほんものの早春が来た。馬も人もはね[#「はね」に傍点]だらけになって往来し、冬のうち積った雪に吸いとられていた生活の音響がゆるんだ雪の下からいっせいに甦って来た。道のひどいぬかるみと、抑えるに抑えきれないような生命のそよぎ、歩くどの道もいまにも辷りそうにつるつるしたこわさなどで、にわかに重さの感じられる冬外套の下で伸子は汗ばみながら上気した。食料品販売所のドアをあけて入ると、その内部は冬の間じゅうより奥が深く暗く感じられ、ゆるんだ店内の空気に、床にまかれている濡れオガ屑の鼻をさすような匂いと、燻製魚類の燻しくさい匂いとがつよくまじった。つり下げられている燻製魚の金茶色の鱗にどこからか一筋射し込む明るい光線があたって、暗いなかに光っている。そんな変化も春だった。
伸子のものをかきたい心持は、一層せまった。瞳のなかに疼く耀《かがや》きをもって、伸子がマリア・グレゴーリエヴナの稽古から、アストージェンカの角を帰って来ると、毛糸のショールを頭のうしろへずらした婆さんの物売りが、人通りのすきから、
「|お嬢さん《バリシュニア》!」
と伸子をよびとめた。そして一束の花束をさし出した。
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