}ばかりでなく各国の共産党が、南京政府に対して抗議していることを、伸子はこまかい本文はよめない「リュマニテ」の見出しで理解するのだった。パリにいる中国青年の抵抗は、中国解放を殺している二つの勢力に向けられているわけで、その一方に、南京政府があった。他の一方に、中国を植民地としている帝国主義の国々の一つとしての日本があるのだった。
伸子は、その夕方、和一郎、小枝、つや子を自分たちに加えた五人づれで、気持よく爽やかな日暮れ前のリュクサンブール公園のなかを歩き、ソルボンヌ大学附近やこの公園の中では特にゆき合うことの多い中国青年たちが、素子と伸子二人のときより、あらわな侮蔑を示して通りすぎるのに心づいた。伸子は、それをつらく感じ、また当然と感じ、彼らに同感もするのだった。小枝の、自分というものさえはっきりつかんでいない優美さ。どこから見ても、人生の何かのためにたたかっているものとは見えない和一郎の、おっとりしたものごし。そこにまざって、歩いている伸子や素子が、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来ていて、社会主義の社会について何かを知り、解放の意味の何かを実感していて、パリの中国青年たちは知らないどっさりのけなげな中国の娘たちを、孫逸仙大学の留学生として見知っているというようなことは、彼らのひとめ[#「ひとめ」に傍点]にはわかりようないことだった。伸子たち一団がまきちらしながら歩いているあらわな階級性、それは、小枝や和一郎が全然無意識であるにしろ、中国解放の味方でもなく、日本の人民の味方でもない日本の階級を感じさせるにちがいないものだった。
伸子は、そのことによって苦しむ自分としての階級の意識を自覚し、同時にまた、そういうこころもちだけをとりだして傷つけられている自分の、ひよわさ[#「ひよわさ」に傍点]をも意識するのだった。
日貨排斥が行われている上海へ、カトリ丸も寄港したわけだった。船客たちの多くは、上海の競馬とか、日本で見られないキャバレーとかいうことで、この都市を知っているわけだった。
「どうした? みんなもあがったの?」
伸子がきいた。
「わたしは、お父さまのおともで、ちょっと買いものをしに上陸しただけ。――お兄様は、あれでも五六時間、あっちこっち御覧になったんじゃない?」
「僕は、西川さんのところによばれていただけだ――歩かなかったな」
カト
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