チてない。彼女にも憎悪があるのだ。ペラーゲア・ステパーノヴァの心臓のかわりに、エレーナは彼女のがんこな黒服をまとっている。説明ぬきで――説明するよりも雄弁に彼女が喪《うしな》ったもののあることを表徴して。折からさっと風がわたって来て大楓の枝がなびき、欄干の近くを踊りすぎる伸子の頬に雨のしぶきが感じられた。反対側の広間をよこぎって素子の来るのが見えた。真面目ないそいだ足どりで来た素子はヴェランダの伸子を認めると、手にもっている黄色い紙をふってみせた。エレーナもそちらへ注意をひかれた。マズルカの足どりは自然に消えて、エレーナと伸子とが片手はまだつなぎあったまま立ちどまったところへ、素子が、
「ぶこちゃん、電報だ」
黄色い紙を細長い四角に畳んだものをわたした。
「電報? どこから」
「うちかららしい」
伸子は、どういう風にエレーナの手をほどいたかも気づかないで、広間とヴェランダの境に立ったまま電報をひらいた。
よみにくいローマ綴りを一字一字ひろった。シキウキチヨウアリタシ。――至急帰朝ありたし。――無言のまま二度三度、その文句を心の中にくりかえして見ているうちに、伸子は抵抗の自覚される心持になって来た。電文そのものが唐突で簡単すぎ、意味がつかめないばかりでなく、そういう唐突な電報でこんなに遠くで営まれている伸子の生活の流れが変えられでもするように思ううちのひとたちの考えが、苦しかった。
伸子はエレーナに挨拶して、のろのろ素子と広間の寄木の床を部屋の方へ歩いた。
「どういうんだろう」
電文をくりかえしてよんだ素子が、それを伸子にかえしながら、いろいろの場合を考えて見るように云った。
「何があったんだろう」
「さあ……」
動坂のうちの人たちとして、伸子にそういう電報を打つだけの何かはあったのだろう。しかし、伸子は、その動機を、すぐに、自分の生活を変えるだけ重大なものとしてうけとる気持になれなかった。
廊下のはずれにある伸子の室まで二人で来て、伸子はベッドに腰かけ、もう一遍電報を見た。やっぱり、シキウキチヨウアリタシとしか書かれていない。
「何てうちは相かわらずなんだろう。電報まで電話そっくりなんだもの――伸ちゃん、一寸話があるからすぐ来ておくれ。――ここにいるものにすぐ帰れなんて……」
素子はタバコに火をつけて、それをふかしながら、窓の外を見てしきりに考えてい
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