チと接吻した。
五
六月なかばのパリでは、マロニエの若葉をうってときどき軽い雨が降った。その日も、朝から間をおいて通り雨のような明るく光る雨が降った。伸子と素子とはホテルの室にいて、素子は化粧台の上にベルリンで買ったロシア語のタイプライターを置き、練習をしていた。伸子は、まだ外出したくない素子と部屋でたべるために、玉子、桜んぼ、サラダ菜、チーズなどを買って来た。伸子はそういう買物をめずらしがって、フロマージュ(チーズ)六ヶ四フラン四〇サンティーム、クッキー一二五グラム三フラン五五サンティーム、玉子二ヶ(上)一フラン七〇サンティーム、桜んぼキロ四フラン、など、手帖にかきつけるのだった。為替相場は一フランが日本の十二銭強で、ベルリンの一マークが三十五銭ばかりだったのからみるとずっとやすかった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ではチーズ類や玉子が払底でたかかった。けれども出盛りの桜んぼや苺などはいかにも季節のおくりものという風に道ばたの手押車の上でもたっぷり売られていて、一キロ八十五カペイキぐらいしかしなかった。それは日本の金にするとわずか十銭足らずだった。
去年の夏の末に、ヴォルガの河をニージュニ・ノヴゴロドからスターリングラードまで下って、ウクライナとコーカサスを旅行したとき、伸子たちの乗っている白い遊覧船は、一日のうちに必ず二度三度はカスピ海にそそぐ河口のアストラハンからヴォルガをさかのぼって来る西瓜船とすれちがった。河を下ってゆく伸子たちのマクシム・ゴーリキイ号は、船艙いっぱいに上流の森林地帯から生産されたベニヤ板を積みこんでいた。高く積み上げられたベニヤ板と船艙の天井との間にヴォルガ沿岸地方の多勢の農民がねころがって、ニージュニからカザンまで、カザンからサマラまでという風にのっていた。しめっぽくて強い木の香のみちた船艙に鞋《サパギー》をはいた農民たちが、黒ラシャの外套一枚を毛布がわりに積荷であるベニヤ板の上にころがって河を下ってゆく光景は「夜の宿」の舞台めいているようだけれども、その船艙の一隅には「赤い隅」と「図書部」があって、素子はそこから本をかりた。夜になると、もう秋の落潮のはじまったヴォルガの水脈を求めてゆるく航行する船の舷側から、ギターがきこえ、若い男の唄声が水の上に流れた。伸子は甲板の椅子によって、鏤《ちりば》めると
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