煤u頂いた」に傍点]のではなかったのよ。自分たちで自分たちのものとしたのよ」
 はるかに海をへだたっている保のところまで、勁《つよ》いひとすじの綱を投げかけようとするように、伸子は心いっぱいにその手紙を書いた。
「わたしたちは、人間として生きてゆく上に、美しいことに感動する心を大切にしなければならないと思います。美しさに感動して、そのために勇気あるものにもなれるように。保さんはそう思わない? 花つくりの美しさは、それをうちの温室で咲かせてみせる、という主我的な心持にはなくて、あの見ばえのしない種一粒にこもっているすべての生命の美しさを導き出して来る、その美しさにあるんですもの」
 保むけのその綱が多計代の目の前に音をたてておちることをはばからないこころもちで伸子は手紙を書き終った。
 厚いその手紙のたたみめがふくらみすぎていて封筒がやぶれた。おもしをかってから封することにして、伸子は四つ折にした手紙の上へ本や字引をつみかさねた。
 丁度そのとき、素子が勉強をひとくぎりして、椅子を動かした。
「あああ!」
 部屋着の背中をのばすように二つの腕を左右にひろげて、素子は断髪のぼんのくぼを椅子の背に押しつけた。
「ぶこちゃん、どうした。いやにひっそりしてたじゃないか」
「――手紙かいてたから……」
「そう言えば、そろそろわたしもおやじさんに書かなくちゃ」
 きょう大使館からとって来た日本からの郵便物の中には素子あての二三通もあった。うまそうにタバコをふかしながら素子は、
「きみんところなんか、まだ書いても話の通じる対手がいるんだから張り合いもあるけれど、わたしんところは、結局何を書いたって猫に小判なんだから」
と云った。
「いきおいとおり一遍になっちまって……どうも――」
 京都で生れて、京都の商人で生涯をおくっている素子の父親やその一家は、素子を一族中の思いがけない変りだねとして扱っていた。まして、素子を生んだ母が死んだあと、公然と妻となったそのひとの妹である現在の主婦は、素子の感情のなかで決して自然なものとして認められていなかった。むずかしい自分の立場の意識から、そのひとは素子に対しても義理ある長女としての取りあつかいに疎漏ないようにつとめたあとは、一切かかわらない風だった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来ても、素子は父親にあててだけ手紙をかいていた。

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