ハされている不調和の調和の上に約束されているものだった。
フランスで、文学は、大戦後も崩れてはしまわなかった。はげしく動く人間の歴史の中から確《しっ》かりと能動的に精神の骨格をそびえさせている。大戦によって社会主義の社会にならなかった国々の進歩性と、より高い聰明への省察、人間性の探究として立っている。それを伸子は、ロマン・ロランにおいて見出し「クラルテ」の作者によって知り、マルチネによって感じることができた。
絵が、文学より先にフランスでこんなに砕け、感覚の中へ分散してしまっているのは何故だろう? フランスの絵が、リアルな現実をこういう形にくだいて実体を失わせ平面にしてしまうしか出道のないことについていまパリで絵を勉強している人々は懐疑がないのだろうか。きょうフランスで絵画的と云われることは何を意味するのだろう。現実分解や図解、きそってのディフォーメーションは、それが新しい美への試みであるという諒解、そのために現代が忍んでいる寛容さの上になりたっているもののように伸子には思えるのだった。視覚をとおして来る美の感受よりも、より多量に認識の問題であり、そこからの試作のようにも思える。画家のほんとの心情的なものは、こういう飛躍のうちに疲れるだろう。画家の主観より、現実は常により強固であり実体的であるのだから。伸子は、血をぬかれ、平べったく透明なきれぎれにされていない新しい美を欲するのだった。でも、そういう美はどこから生れるのだろう。新しい社会であるソヴェトから、というのは簡単であるけれども、ソヴェトの十年は、文学よりも絵画の新生のむずかしさを示していると、伸子は考えしずむのだった。これらのことが磯崎恭介と率直に話せたら、面白いことだったろう。だが、磯崎恭介は、伸子たちに、自分の制作をまだ一枚もみせていなかった。そのことは、おのずから彼とのつきあいのなかに画された一線となっていて、伸子たちは絵について全く素人である自分たちを、絵の問題からはしめ出しておかなければならない形だった。
ガリック・ホテルに向って長いヴォージラールの通りを二人で帰って来ながら、伸子は、しきりに、ロシアの絵のことを考えた。トゥレチャコフスキー画廊を埋めている古典的ロシア写実派の絵。色がみんな壁のなかに封じこまれているそれらの絵の世界はレーピンによって解放されている。文学で云えばトルストイの時代に
前へ
次へ
全873ページ中831ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング