高フドアからプラットフォームの上へつき出した。かなり手荒に。喧嘩のはじまったわけを知らず、口論のなりゆきもわからないでただ観ているばかりの伸子にとって、黒人の女が顔をぶたれても、誰一人それをとめるもののないメトロの中の光景は苦しかった。その黒人の女だって、メトロの切符は、自由・平等・博愛、と鋳出されている銀貨を出して買ったのに。
黒人の女の血走っていた白眼と、出来るだけの早さで動いていた灰色っぽい紫の唇が伸子の頭のしんに浮んだ。また、そのなりで、彼女たちが金のない若い女であり勤労で生きていることを語っているパリの無数の黒いなりの若い女たちが。その上、いまこの六月のブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールを歩いているどこの国のどういうものだか分らないどっさりの女の群のなかの誰が、実際にこんな腕環を買ってその身を飾るというのだろう。
こういう見事な腕環をする女も、パリなればこそどこかにはあるのだろう。これを見るひとはそう思って通りすぎてゆくことは、腕環が当然のことのようにほのめかしている見事な女というものへ幻想をかきたてられる。そういう女が生存するどこかにある生活環境を幻想させる、と伸子は思った。一つの美しい腕環は、所有主のきまらない間に何と多くの通行人にパリのかきたてる幻想を売っているだろう。いつか、どこからか現れる買いては、人々に売られた幻想の分量をふくむ金をそのために支払い、そのことで自分の夢までも買うのだ。
じっと腕環を眺めていて動こうとしない伸子に、素子が、
「えらい御執心ぶりだね」
と、短く笑った。
「もういいだろう? 行こうよ」
「まって。――もうちょっと」
さきへ行かれてしまわないように素子の片手をつらまえながら、伸子がたのんだ。
「『|わたしの巴里《モン・パリ》』ができかかりなんだから。――なんだか、わかりかかって来ているんだから。――動かないで」
それは複雑で、うまく説明しにくいことであった。腕環を眺めているうちに、伸子の心の中ではいくつもの渦がまきしまり、巻きほぐれて、何となし世界の人が、パリ、パリ、と特別なものをもっていう感情の機微が自分にわかって来たように思えたのだった。
「ね、世界の人たちは、何のためにこれだけ毎年パリへお金をおとしに来るんだと思う?」
熱中した眼つきで素子の腕をとってマロニエの下を歩きながら伸子が話しはじめ
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