驍フはこの辺なんですがね」
 膝にのせている子供の白い服のわきから須美子も若々しくおかっぱの前髪をさし出して地図をのぞきこんだ。
「あった、ここです」
 磯崎は、
「どうせ、あした又ホテルへは来てみますが――線を引いておきましょうか」
 |DUTOT《デュト》と書かれている短い街の上に画家らしく軟い鉛筆の線を引いた。
「へえ、これでデュトですか。フランス語って、だからいやさ。わたしならデュトットと読んじまう。そう書いてあるんだもん」
 じぶくるような素子の言葉で、笑いながら磯崎が、
「佐々さんは、お話しなさるんでしょう?」
ときいた。
「そうねえ、わたし、いくつフランス語をしっているかしら――まず、こんにちは《ボン・ジュール》、ね。それから、ありがとう《メルシ》。|わたしはフランス語を話しません《ジュ・ヌ・パーレ・パ・フランセ》」
「ところが、それを云っちゃ駄目なんです。それ、そのとおり話しているじゃないかってやられるから」
 生れつき言葉かずのすくないたちの若い女が物を云うときのゆっくりした口調で、須美子が、
「でも、パリのなかでなら英語で御不自由はありませんわね」
 半ば磯崎の同意をもとめるように云った。
「それに、どの店でもたいてい正札つきでものを売って居りますから」
 結婚したばかりでパリ生活がはじまり、主婦と同時に母親になった須美子のとりなしには、なに気ないなかに伸子や素子に通じる女同士の思いのようなものがあるのだった。正札つきと云えば、伸子たち一行がのみほして円卓にのせているコーヒーの受皿にも黒く1F50サンティームと書いてある。
 磯崎たちとわかれてからも、伸子と素子とは暫く午後十時から十一時の人通りの賑やかなモンパルナスを下手《しもて》通りへ歩いた。ベルリンの夜は、異様に鮮やかな赤、青、橙、菫色のネオン・サインが動かない焔のリボンとなって闇空をつんざいていて、その光のリボンをたどって行くと視線の果にひろがる闇がかえって生動して無気味だった。モンパルナス通は昔ながらのイルミネーションで、ちらつく光を互の黒い影で乱しながら、無数の男女があからさまな快楽への欲望を示しあいながらぞろぞろ往来しているところだった。その光景は地上的でそこに捉えられる夢も現実的な夜景だった。

        二

 四日して、伸子と素子とは、ホテル・ガリックへ移った。そこも磯崎
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