け、やがてデスクのうらから出て来て、握手した。
「これが、ここの事務責任者のゴルシュキナさんです」
 そして、一人一人伸子と素子の専門と、ソヴェト旅行は個人の資格で来ていることを紹介した。
「ようこそおいでになりました」
 美しいその人は、仕事に訓練された要領よさで、いきなり英語で伸子たちに向って云った。
「私たちは、出来るだけ、あなたがたの御便利をはかりたいと思います。――どのくらい御滞在になりますか」
 素子が一寸|躊躇《ちゅうちょ》した。伸子は、
「瀬川さん、すみませんが、こう返事して頂戴《ちょうだい》。私たちは旅費のつづく間、そして、ソヴェトが私たちを追い出さない限り、いるつもりですって――」
「それは愉快です」
 ゴルシュキナは笑い出して、伸子の手をとった。
「じゃ、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]観光も、あんまりいそがないおつもり、というわけでしょうか」
「もちろんいろいろな場合、御助力いただかなければなりませんけれど、まあ段々に――。わたしは早くロシア語で蜜柑《みかん》を買えるようになりたいんです」
「あら、蜜柑がお気に入りましたか」
 こんどは伸子が笑い出した。ゴルシュキナは一緒に笑いながら、その黒い、大きい、睫毛《まつげ》がきわだって人目をひく眼に機智を浮べた。そして云った。
「ソヴェト同盟を半年の間見物してね。最後に、一番気に入ったのは塩漬胡瓜だ、とおっしゃったお客様もありました」
 瀬川雅夫は、ゴルシュキナに、カーメネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夫人に会いたいと云った。
「一寸お待ち下さい」
 ゴルシュキナは、もう一つのデスクにいる婦人に、ノートを書いてわたしながら、
「みなさんお会いになりますか?」
ときいた。
「どうです、丁度いい機会だから会っておおきなさい」
 伸子たちにそう云って、瀬川は、
「どうか」
と、ゴルシュキナが書きいいように丁寧《ていねい》に吉見素子(ロシア文学専攻・翻訳家)佐々伸子(作家)と口述した。
 これで、伸子たちとの用に一段落がつき、ゴルシュキナは、さっきから待っていた三人のアメリカ人に、出来て来た書類をわたして説明しはじめた。
 そこへ、しずかな大股で、ひどく背の高くてやせて赧《あか》ら顔の四十がらみの男が入って来た。
「こんにちは、プロフェッソル瀬川」
 その声をきいて、伸子は思わずそのひと
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