sった。そこで、作家の扶助金庫の組織とその活動についてきき、ノヴィコフ・プリヴォーイが「日本海海戦」を仕上げた「創作の家」のことについてきき、そこの狭い廊下の掲示板に、作家組合で共同購入する石炭についての告知をよんだのだった。作家組合には、ロシア・プロレタリア作家同盟(ラップ)ばかりでなく、マヤコフスキーが死ぬ二ヵ月ほど前まで属していた左翼戦線《レフ》のグループも全露農民作家団体も、構成派の鍛冶《クーズニッツァ》も参加していた。裏口からのぼって行ったところの狭い廊下に向って、それらの文学団体が、めいめいのドアの上に名札を出してつまっていた。
 マヤコフスキーの遺骸は、日ごろ彼の足がふみなれ、その声を響かしていたこの作家クラブに運びこまれて、左の翼にある広間の一つに安置されているらしかった。
 大廊下をつきあたり近くまで進んだとき、列は左へ曲った。そこが、遺骸の安置されている広間だった。列からは、広間の左手の壁に沿って並べられている空の椅子と、それに対する右側の黒い幕を頭にして、赤旗と花とに飾られた棺に横わっているマヤコフスキーの背広服の姿が見えた。棺の頭の左右に、赤軍の兵士が一人ずつ儀仗の姿勢で侍立している。若い詩人らしい人が三人ばかりいる。マヤコフスキー夫人かと思われる黒衣の婦人は、棺からはなれて椅子の並べられている側の壁の前に立っていた。告別の列は、そこで一層重い流れとなり、静粛に、きわめてゆるやかなすり足で棺の足もとを通過しつつ、遺骸に注目し、哀悼の表情のまま、やがて広間のむこうの出口から順々に退出するのだった。
 広間の、そのような光景が目にはいった丁度そのとき、伸子のところで、二人ずつ並んで進んでいる告別者の列が、一区切りされた。
 伸子は思いもかけない場所――広間の敷居を越した、棺の足もとで、停止した。停止した伸子の目のさきに、棺からぬっとはみ出すように突立っているマヤコフスキーの大きな靴の裏があった。生きていないひとのはいている靴の底をまともに見ているというのは異様な感じだった。大きな靴の底は、その不動の位置でひとしお大きく目にうつるのだった。伸子が思わず一旦そらすようにした視線をふたたび、大きな靴の裏にもどしたとき、伸子の瞳に、かすかな衝撃の色と、何かをいそいで理解しようとする表情が浮んだ。大きい大きいマヤコフスキーの黒い靴の底に、二つのへりどめ金が
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