「る、その、愛の小舟というのは、何の愛の、小舟だったのだろう。
マヤコフスキーは大きい誤りをおかした。しかし彼が、彼の最後の日まで革命とプロレタリアの詩人としてつくした功績は、そのために消されることはない。――プラウダにそういう言葉がかかれていた。そして、その夜伸子と素子がさっきまで――十一時ごろまでいた工芸博物館の大講堂では、うしろの高い席までびっしりつまって明るい演壇に注目している聴衆に向って、「レーニングラード作家の文学の夕べ」の司会者はおなじ言葉をのべ、詩人への哀悼のために一同の起立をもとめた。くまなく照明されている演壇のうしろの高いところにレーニンの胸像と|СССР《エスエスエスエル》の赤い旗が飾られている。その下に故人となったマヤコフスキーの大きい写真が数百人の視線をうけている。特別に大きい額、特別に大きい目玉をもったマヤコフスキーの写真の下にグランド・ピアノがあった。その黒いふたの上に、赤い切り紙でつくられているВ・В・マヤコフスキーという詩人の名の、二つの頭字が、はっきりさかさに映っていた。無言でさかさに映っている赤い二つのВの頭字を見まもりながら、伸子は聴衆の一人として、マヤコフスキーは大きい誤りをおかしたと云われる言葉をきいたのだった。マヤコフスキーの誤りとして云われているのは、彼が自殺という方法で、突然彼の人生をしめくくってしまったことに対する社会主義の社会としての批判だった。
だけれども、批判は批判として、会場の雰囲気を支配しているのは、マヤコフスキーへの親愛の感情であり、彼の死に対してぼんやり人々の胸の底にわき出ている惻隠《そくいん》の情だった。
伸子と素子とが、工芸博物館の前から19の電車にのって来て、クードリンスカヤの街角までつづいている告別式の列の最後のしっぽについたのは、かれこれ十二時ちかかった。マヤコフスキーの告別式は、その夜、午後九時から午前一時まで作家クラブで行われるはずだった。間遠な街燈の光をうけて沈黙がちの黒い列がそろそろ動いている歩道の外側に、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の四月の、よごれた雪のかたまりがあった。車道のところを、数丁さきの作家クラブの正門まで、列にそって三騎の騎馬巡査が、しずかに行ったり来たりしている。列は、一歩ずつ動いていて、昔ソログーヴの邸宅であった作家クラブの建物をとりかこむ低い
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