qのわきにおきっぱなしていた文明社からの明細書を、素子は手にとって見た。
「木下も、世間が思っているより、土精骨のない男だ。――自分では、よう、ことわりの手紙も書かへんやないか」
 伸子は、それに答えず、わきに立っている素子に仰向いて、ひろげている雑誌の頁を示した。
「あなた、これ、読んだ?」
「――何かあるだろう?」
 素子の心にも止る何かがあったのだ。
「まだ学生だね」
 学生であるにしろ、石田重吉は「大導寺信輔の半生」にふれて、伸子に自分の浅い批評をきまりわるく思わせる分析をしていた。相川良之介の特色であった知識に対する貪欲とも云い得る強烈な欲望、伸子が衒学的だと感じて、常に反撥したその欲望は、日本の中流下層階級に属して、この社会に何の伝統的な生活手段も持っていなかった彼の、個人的特性であるとともに、知識は相川良之介にとって生活上の武器であり、生活手段であり、享楽であったと、評論は語った。そこには、筆者のなみなみならず切実な理解がこめられているようでもあった。
 石田重吉の評論には、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でそれをよんでいる伸子としてかすかな居心地わるさを感じさせられるところもないではなかった。それは、プロレタリアートは時代の先端を壮烈な情熱をもって進んでいる。という文章につづいて、しかも我々の前には、過渡時代の影がなお巨体を横えている。長い過去を通じて、我々に情緒上の感化を与えて来た「昨日の文学も」というあとにつづく一句だった。「わがコムソモールの机の上には『共産主義のABC』の下にエセーニンの小さい詩の本が横わっている」と云われている暗示ふかい言葉は、ソヴェト同盟においてのことばかりであろうか。「プロレタリアートの戦列に伍して、プロレタリアートの路を歩もうとしているインテリゲンチアの書棚に、党の新聞とともに、相川氏の『侏儒の言葉』が置かれていないと誰が断言し得よう」
 そう書かれている評論のその部分を、伸子はくりかえし自分の感情をさぐりながら読みかえした。エセーニンの詩は、いわゆる母なるロシアの感覚そのものから歌い出されていて、その憂愁とロシアへの愛はイサドラ・ダンカンのような外国の舞踊家までを魅した。「母への手紙」を素子が抑揚うつくしくよめば、伸子の胸にもエセーニンの魂の啜泣《すすりな》きがつたわった。去年あたりからソヴェトの一部の人
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