Xはやかましく、エセーニンへの愛好を批判している。現在ソヴェトの青年がエセーニンの詩に心をひかれるなどということは、時代錯誤であり、反社会主義的だという議論だった。しかし、すべての、「|ABC《アーズブカ》、コンムニズマ」の下にエセーニンがあるときまっていない。伸子のところにアーズブカがある。でも、その下にエセーニンはない。よしんばエセーニンの詩の一巻があるとして、それがABCと同じ比重で感情のうちに対立するということは伸子の実感ではわからなかった。伸子はソヴェト社会そのものの力におされて、いつしか感情統一におかれている自分を自覚しないのだった。
 だが、石田重吉は、|ABC《アーズブカ》とエセーニンとの間に自分の存在をおいて語っているのではなかった。「我々は相川氏との間におかれた距離を明かにしなければならない」「いつの間にか、日本のパルナッスの山頂で、世紀末的な偶像に化しつつある氏の文学に向ってツルハシを打ちおろさなければならない」「敗北の文学を――そしてその階級的土壌を我々はふみ越えて往かなければならない」一九二九年四月。――これが石田重吉の論文の結語だった。
 伸子は、その評論をよみ終っても、なおじっと考えこんでいた。それから、もう一度、頁をあけて、最後にのっている小さい石田重吉の写真を見た。眉の濃い、肩幅のひろい、スマートと云われることから遠そうな青年だった。私自身については多くを語りたくない――伸子は、思わずほほ笑んだ。もうこんなに、語ってしまっているのに! そして、石田重吉という青年の生年月日にあらためて目がとまったとき、伸子は、心臓の鼓動が一瞬急にはやまって、やがてつまずいてとまるような気がした。自殺した伸子の弟、保と同いどしなのだった、その石田重吉というひとは。――

        五

 きのうの雪の上にけさの雪が降りつもり、また明日の新しい雪がその上に降りつんで、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の十二月は、厳冬《マローズ》に向ってすすんでいる。
 伸子の毎日にも、あたらしいことが次から次へとおこった。そして、絶え間なく降る雪が、ソコーリスキーの自然林公園のどこかで、やがて雪どけと同時に一番早く花を咲かせる雪のした[#「雪のした」に傍点]の根を埋めて行っているように、雪景色を見晴らすアストージェンカの下宿の室では、伸子の新しい日々の下
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