Xトーヴのまわりに主人夫妻や伸子、パステルを描く豊岡という画家などがかたまっている。
亀田のアトリエには、主人公である亀田という画家そのひとについている一種のゆとりの雰囲気があって、クラマールの生活で伸子のいちばん心やすい場所だった。亀田の細君は、夫の芸術を理解し、それをたすけようとしているこころもちを、やすくて、うまい手料理の上手さや生れつき器用な洋裁の稽古にあらわしている。
「どうせ、うち[#「うち」に傍点]のようにおとなしい人は佐賀多さんみたいな巨匠になれっこはないんですもの」
その晩も、男連中の間にかわされている話の中にいながら、女たちだけの話題で、彼女はそのころ日本人画家としてパリで名声を博していたひとの名にふれた。
「貧乏画家ぐらしは一生つづくとかくごしていますわ。だから、わたしは、かえってのんき[#「のんき」に傍点]よ。いまの生活をわたしなりにたのしんでいますの――幸福ってそういうもんじゃなくて? ありあわせでも、おいしくたべる術だわ」
格別伸子の返事をもとめるわけでもなく、さえずるような調子で云って、亀田の細君はフランス女をまねてちょっとコケティシュな身のすくめかたをした。亀田の細君の膝の上では、縫いかけの婦人帽の蕊がいじられていた。
「感心でしょう? わたしはこれでもうじき一人前の裁縫師になれますのよ、三年つづけたんですもの。ですからね、そろそろ帽子の方も、ものにして置こうと思いますの、そうしたら心づよいですもの、ね」
亀田の細君は、おかっぱの前髪を伸子の方へ低めておかしそうにささやいてくすりと笑った。
「とのがたは、なんにんいらしても指をタバコのやに[#「やに」に傍点]で茶色にするか、売れない絵の油でしみだらけにするしか能がおありなさらないけれど、その間にこうやってわたしの可愛い指は稼いでいる――それは一向御存じなしなのよ」
デュト街の古びた家の壁の間で、痛々しい生命を芸術の焦躁のうちに削ってしまった磯崎恭介と須美子の自分というものを最後までおさえた暮しぶりと、クラマールのここにある亀田たちの暮しかたは何というちがいだろう。亀田の細君は、あるときは意識してそうしているかのような小猫めいた賑やかさ、暮し上手の女がもっている笑声、いつも身のまわりにとりちらされている柔かくて色彩のきれいな布きれなどの雰囲気で、夫である画家の絵の精神を女の陽気
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